「立ち読み」のススメ

本記事は図書館で本を借りる人たちを否定している訳ではない。誤解のないように。

読書というクリエイティブな行為は落ち着いて集中できる環境において最も捗(はかど)る、というのが世間の通説らしいです。

巷間の通説に従えば図書館がベスト、ということになります。図書館は無料で本が借りられて経済的であり、静寂な読書スペースが用意された、すこぶる落ち着く読書人のささやかな聖地なのです。

しかし、読書は場所を選ばずにできるというのが、わたしの持論です。そして、図書館で借りた本を読了して返却すると知識もこれに随伴して書架に運ばれていってしまうのです。わたしの今までの経験から言える嘘のような本当の話です。

以上のような次第でわたしは書店での、いわゆる立ち読みはおろか図書館で本を借りることにも非常に懐疑的なのです。

自分の財布から出したお金を支払うことで、初めてその本と真剣に対峙(たいじ)できるのだと思うのです。身銭を切らなければ知識は身につかない、というのがわたしの信念です。

それでは、わたしの提唱する「立ち読み」とは何か。それは字義どおり立って本を読む行為のことです。身銭を切って購入した本を細切れの時間を使って起立して読むのです。

例えば、料理をしていると必ず待ち時間ができます。その間に台所にあらかじめ置いておいた読むべき本をそのままの立った姿勢で読むのです。

レシピが載っている料理本の類(たぐい)ではありません。あくまで読むべき本を立ったまま読むのです。

部屋で座って読んだり、寝そべって読んだりしていて疲れてきたときも、その場で起立して読むのであります。

大脳生理学上どうなっているのか、その詳細は不勉強ゆえに分からないですが、わたしの場合、立ったままで読書すると、とても調子よく読めるのです。

内容が頭の中にすっきり収まる、と言ったらいいのでしょうか。直立不動の姿勢で五分、十分、読んでいる場合もあります。

むろん、五分、十分で読める量などたかが知れていますが、それでいいのです。少しずつゆっくり読めばいいのです。

家族と一緒に暮らしている読み手は家人(かじん)に気味悪がられると言うかも知れません。だから厭だというのなら、その程度の覚悟なのです。

人の目が気になる人はわたしの言う「立ち読み」とは縁がなかったのです。隙間時間をいかに効率よく使うか、という技術は何もビジネスマンの専売特許はありません。読書にも十分、応用できるスキルです。

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