小中学生よ、おおいにゲームもして、おおいに成績も上げようとは無理な相談だ
昨今、ゲームをすることが猖獗(しょうけつ)を極めている。特に小中学生の間に顕著に見受けられる。子供がゲームにかまけて、なかなか勉強をせず、あたら貴重な時間を逸している。
近年さような悩みは珍しくはない。打ち明けた話、今は中学受験や高校受験を目指す塾の責任者であるわたしも小学生時代は小遣いを握りしめてゲームセンターに足しげく通った口である。
ゲーム機に硬貨を投じて夢中になって遊んだのだ。スペースインベーダー、パックマン、ディグダグ、ゼビウス等々。当時はいわゆるテレビゲームの黎明期(れいめいき)であった。
けれども、わたしの場合、小学校を卒業したと同時にゲームも卒業した。中学生になって必死に勉強に取り組んだのでゲームに興ずる閑(ひま)がなくなったのがその理由である。
昨今スマホが普及して小学生でも携帯端末を所有している。そして読者諸賢もご承知のとおりスマホでゲームもできる。インターネットを介して他人と対戦さえもできる。
子供たちが勉強そっちのけで隙間時間でさえもゲームに打ち興じている姿を見るにつけ、これは誠に由々しき事態だ、と言わなければならない。
現代は子供は言うに及ばず大人でさえもゲームに夢中になっている時代だ。いい年をした大人が部屋に引きこもってゲームばかりしている「ネトゲ廃人」という言葉は広く知られている。
思うに、ゲームの弊害は極めて深刻である。ゲームには色々なデメリットがあることは、わたしの指摘を俟(ま)つまでもなく、もはや誰も否定しないであろう。
それでは、ゲームのこの問題をどうしたらいいのか。わたしはこの記事で弊害の多いゲームをむしろ勉強の間の気分転換に利用することを提案したい。
勉強の短期的な報酬としてゲームをすることを短時間に限り子供に許すのだ。しかし、いったんゲームをさせたら改めて勉強に戻すのに苦労する、という反論が聞こえてきそうだ。
そうであるならば、勉強はゲームより何倍も面白い、と気づかせてあげればいい。子供に将来のことを想像できるように折あらば啓蒙するのである。わたしの例を以下に記そう。
わたしは中学生の時、すでに父からさまざまな大学についての話を聞かされていた。例えば国立大学は今でも隠然として評価が高いこと、私立大学は学校によりカラーが違うこと。
あるいは旧七帝大の具体的な学校名、さらには東京大学だけがThe University of Tokyoという呼称であり、もし東大に入れたら祖父に学費を全額、支払ってもらえること等々。
だいぶ父から吹き込まれていたので単純なわたしはその気になって勉強をした。ゲームへの関心は綺麗に吹き飛んだ。爾来それが嵩じてなのか少なくない時日、教育に携わって今に至る。
肝腎なのは勉強に本気で取り組ませることである。そうすれば子供はゲームなどは気分転換という位置づけで十分であり、それ以上でもそれ以下でもないことを自ずと悟るであろう。
結論を記そう。ゲームはあくまで勉強の気分転換のひとつの手段に過ぎないのだ。おおいにゲームもして、おおいに成績も上げようとは無理な相談である。
ゲームなど勉強の下僕(げぼく)に過ぎない。昨今、ゲームをeスポーツと呼び、ゲームをすることで生計を立てる人も出てきたが所詮(しょせん)はゲームである。遊びである。