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午前中の最後のポイントを収集してほっとしていた。体はほどよく疲れていた。わたしはタオルに顔を埋めていた。車内に射し込む陽光が心地よかった。ふいに低いが明瞭な声が聞こえてきた。「お前、馬鹿だろう」。声は隣りの男から発せられていた。相手の顔は笑っていたが目は笑っていなかった。
彼は、これまでわたしの頭越しに運転手とばかり喋っていて、わたしと視線を合わせようともしなかった。まだ気に入らないのか。一瞬そう思う。違う。この男は思いつきを喋る男ではない。わたしの本能が教えている。心のアラームは次第に音を立てて鳴り響く。わたしは十歳以上も若い同僚の遠慮ない物言いに困惑していた。
わたしの虚ろな瞳には外の景色はもはや映っていなかった。余裕がない。ウカワは、キレると何をするか分からない狂犬と目されていた。三十歳代のベテランだ。言葉を間違うことはできぬ。作業は終わり、トラックは昼休憩をとるためにトラックステーションに向かっていた。手を伸ばしてダッシュボードのペットボトルを飲みたかった。
だが、新人が先輩の問いを無視して先に飲み物に手を伸ばすことは、さすがに躊躇われた。ゴミ収集の職場の上下関係は絶対だ。経験年数がものを言う世界である。わたしにはそれを無視できるほどの人柄も力量もなかった。わたしは初年度四十歳代の新人なのだ。答えねばならぬ。白か黒か。あれかこれか。グレーという選択肢はない。さりとてスルーも許されない。狭い車の中でどういうつもりだろうか。分からない。
風景はとうにブラックアウトしていた。わたしは頭をフル回転させていた。ウカワは容赦しない。譲らない。前を向いたままで執拗に聞いてきた。彼はわたしを完全にロックオンしていた。後はボタンを押すだけだ。わたしは穏やかな昼の休憩を前にして意外な展開に非道く狼狽していた。
答えねばならぬ。声の主は待っている。長く待たせることはできぬ。アラームは大音量に達し、心の耳が痛いほどだ。解除できないか。苛立つ。拭いたはずの汗が生温い。からからに渇いた唇で「へえ、一緒に作業しているとそんなことも判るのですね」とやっと返した。皮肉ではない。丁重にお茶を濁したのだ。
一瞬、頬の筋肉が緩む。車窓からは昼下がりの穏やかな風景が見える。だがダッシュボードのペットボトルまでの距離は絶望的に遠かった。ウカワは追及の手を緩めなかった。永遠の昼下がりに、わたしはたった一人で狭い車内で執拗な尋問を受けていた。何の意味があるのか。一条の光も射し込む気配すらない。出口はどこにも見当たらなかった。
怒鳴られて殴られる方がまだいい。悪かった。勘弁してくれ。いっそ撃ち落とせ!だが彼はボタンを押さなかった。むしろ剥き出しになったわたしの心を鷲掴みにして万力のようにじわじわ圧を強めていく。心に万力が食い込み千切れるかのようだ。ウカワをわたしの目を真っすぐに見据えて静かにこう告げた。正々堂々と馬鹿と言われるか、さもなくば陰で馬鹿と言われるか、どちらがいいか。
もうウカワは笑っていなかった。答えねばならぬ。エアコンの音が遠のく。窓は締め切ってあった。どちらを選べばいいというのか。車内には燦燦と陽光が降り注いでいた。生唾がどうしても上手く呑み込めない。わたしは向きなおって「正面切って馬鹿と呼ばれるなら了承します」とようやく返した。わたしは青ざめていて瞳は虚ろだったはずだ。その後、ウカワがどういう態度を取ったかどうしても思い出せない。今になって思う。多分どうにか、わたしは正解を言い当てたのだ。(つづく)
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