人生のスパイス
発想の転換というのは非常に難しい、と思います。いわゆるコロンブスの卵の有名な逸話も発想の転換の難しさをわれわれに教えてくれています。
視点を変えるというのは決して簡単なことではないのです。視点を変えられる、ということは、とりもなおさず発想を転換できる、ということに他なりません。
そういう人は物事を柔軟に考えることができる人です。ただ、わたしの経験上、自分も含めてさような人物はなかなかいません。
外部から強制されて、あるいは強烈な印象として残るつらい事件が出来(しゅったい)して初めて、われわれは今までの人生観や人生に対する態度が間違っていた、とようやく悟ることができると思うのです。
そういうわけで、わたしは哀しい出来事も辛い出来事も一概に悪いこととは言えない場合がある、と考えます。むしろ前向きに人生のスパイスである、と考えるようにするといいと思うのです。
年齢を重ねますと経験も多くなりますので、さようなことが実感として判ります。これが年の功というものです。
よく不平不満ばかりを言う人がいますね。そういう人は困難の必然性や重要性というのを全然、理解していないのです。
さようなことは苦労人ならとうに理解できているはずのことです。思うに不平家は育ちが良過ぎるのでしょう。
哀しい出来事も辛い出来事も逆説的に聞こえるかも知れませんが自分を成長させるいいきっかけになると、わたしは考えます。これこそ発想の転換と言えるのではないでしょうか。