テレビを捨てよ

我々はテレビを視る時をそっくりそのまま読書する時に充てようではありませんか。

読者諸賢は最近、活字を読まれたでしょうか。新聞でもなく雑誌でもなく単行本を読まれた方はおられるでしょうか。

仕事から帰ってくると疲れて読書などできないかも知れません。ネクタイの結び目を弛(ゆる)めて真っ先にテレビを点けるのではありますまいか。

この記事では読書を強烈に勧めテレビを視るのはもう止めよう、と主張します。そんな突飛かつ偏屈な論には与(くみ)しない、他塾のブログに行く、と言わないでください。

そんなことを言う前にこの朴念仁(ぼくねんじん)の言い分に冷やかし半分でもよいので耳を傾けてみてください。

本記事を最後まで読んだ上でご自分なりの判断を下されても遅くはないのではありますまいか。それでは順を追って論を進めます。

わたしの居にはテレビがありません。テレビを視聴しないからです。ドラマはもちろん、ニュースも視ません。したがって、当然のことながらNHKの受信料も払ったことがありません。

かつてNHKの受信料集金人が来た際「信じられなければ上がってください」と言ったら、すごすごと帰っていったくらいです。

テレビがないから困った、ということはありません。むしろ、テレビを視ないのでその分、自分の時間が持てて、いいことずくめです。

例えばテレビを視ず、空いた時間があるからこそ、この記事をこうして進められるのです。われながら何という豊かな時間の使い方でしょう。

時間がない、忙しい、とつぶやいている人にわたしは言いたい。テレビを視ている時間を全部、削りなさい、と。

ニュースなど週末にヘッドラインをパソコンで確認すれば十分です。読者諸賢よ、本気で時間が欲しいのなら、テレビを捨てようではありませんか。

わたしは閑(ひま)があれば、ひたすら読書です。読書に疲れて来たら趣味の六弦ベースを音楽に合わせて弾くこともあります。

本ばかり読んで世情に疎(うと)いと仙人みたいだな、とからかわれることもないではないです。たしかに商売にはリアルタイムの情報が必要だと思います。

しかし、さような揶揄(やゆ)に対しては生きるための根本的な知識、この不条理に満ちた世界の意味を君は知りたくはないのか、と逆に問い返したくなります。 

つづく

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