バイクという贅沢

画像は30代の頃のわたしです。当時、ハーレーのスポーツスターに乗っていました。

春爛漫である。バイクである。オートバイはいい。四輪では味わえない一体感があるし、身軽さがあっていい。さような一体感を「人馬一体」などと表現する。

バイクのいいところは身体をむき出しにしているので季節を肌で直に感じ取れるところだ。風を切って走ることにより四季折々の明るさ、匂い、音などを五官で敏感に感じ取れるのだ。

一方、四輪ではこれはオープンカーくらいでしか味わえない感覚だ。だが、オープンカーは高価で維持費もべらぼうにかかる。バイクのように手軽にはいかない。

今からの季節はバイク乗り(以下、「バイカー」と記す)にとっては絶好の季節だ。桜が咲いている景色などを見ると、少なくないバイカーはツーリングの蟲(むし)が疼(うず)くはずである。わたしもその例外ではない。

仄聞(そくぶん)するところ、真夏と真冬には乗らない、と決めているバイカーもいるらしいが勿体(もったい)ない話だ。わたしにはその感覚が理解できない。

もちろん雪国の住人は真冬には乗りたくても乗れないであろう。しかし、わたしは雪が降らない限り真冬でも乗りたい。四季を身体全体で感じたいので春夏秋冬いつでもバイクに乗っていたい。

真夏など、走っていれば風を受けるので涼しくて非常に愉快だ。思わず顔がほころぶ。ただし、信号待ちなどで停まっている時は辛いかも知れない。

特にハーレーを筆頭とする、いわゆるアメリカンという種類のバイクなどは概ね空冷エンジンを搭載しているので跨(またが)っているバイカーは辛いかも知れない。

ただでさえ暑いのに空冷エンジン周囲のあの熱気が足許(あしもと)に来て「こりゃ、たまらん」と感じることが一再ならずあるはずだ。

たしかに炎天下はエアコンの十分効いた涼しい屋内で快適に過ごしたくなるのが人情であるのは理解できる。

しかし、わたしはそのような苛酷な条件下でも積極的に外に出てバイクで色々な場所へ行ってみたい。あえて盛夏に屋内を出て何処かへ出かける、というのは何ともアクティブで健康的ではないか。

春から夏にかけて海辺はやはり行ってみたいスポットのひとつである。一方、ひんやりした山間部の道を走るのも悪くない。海、山、どちらもいい。

今の世の中でバイクに乗ることができる、というのは贅沢(ぜいたく)である。バイクで疾走(しっそう)している時は貴重で有意義でかけがえのない時間だ。

ゆえに、この先が見えない大不況の只中(ただなか)でバイクに乗れる有り難さに想いを致し、感謝の心を持って走りを愉しむべきだ。自戒の意味も込めてそう思う。

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