ホームレス女子(3)

画像は、インタビューを受ける「める」さん。当時、彼女はホームレスでした。

それでは、かく言うわたしは、どうか。わたしは首(こうべ)を垂れて恥じ入らねばなりますまい。

別に、この世で経済的に富んでいるわけでもないし、まさかキリストを裏切ることもありますまいが、わたしも発展途上の人間であります。未熟者であります。

とまれ人間はいつの時代にも欠陥を抱えていたにもかかわらず人間にしかできない何事かを行ってまいりました。

そうであるならば今の時代でもわれわれは微力ではあるかも知れませんが、いわゆるAI(Artificial Intelligence)には決してできない何事かができます。歴史を学べばよく判ります。わたしは聖書から多くを教えられました。

昔と現代は全然、違いません。旧約聖書の「伝道者の書」を読むと一章九節に《昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。》と記されています。

聖書のような古典が長い間、多くの人々に読み継がれている理由は、まさに現代が昔とまったく変わらない点にあります。クローチェの「すべての歴史は現代史である」という有名な言葉の真意もそこにあるはずです。

昔は劣っていて現代は進歩している、などという自惚れた進歩史観が大間違いであることが大古典である聖書に親しんでいる者には実に明瞭に分かるのです。

さような歴史観に確たる根拠はありますまい。皆、目を瞠(みは)るような現代のテクノロジーに眩惑(げんわく)されているだけなのではありますまいか。たぶらかされているだけなのではありますまいか。

結局のところ、テクノロジーの発展は現代人の心の隙間を埋めることはできないのであります。科学技術は現代を生きる人間の魂の飢餓をどうすることもできません。

それどころか老若男女を問わず食べる物にも事欠く気の毒なホームレスを量産している始末です。読者諸賢よ、それだからこそ少しでもこの時代をよくしていこうではありませんか。

将来の希望が子供たちなのです。わたしの塾が微力ながら将来を担う子供、一人ひとりの学力の向上に役立ち、立派な大人になるための一助になるならば幸甚(こうじん)です。(了)

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