メメント・モリ
わたしの父はキリスト教会の牧師として働いていたときキリスト教会の牧師でありながら礼拝の説教で結構、ネガティブなことを言っていました。
ある時、ネガティブな言説に納得がいかず、もう少しポジティブな物言いをしたら、と言いましたら、それはヒューマニズム(人間中心主義)の考え方である、とむしろたしなめられました。
現代は明暗で言えば「明」に注目することが重要であるという考え方が支配的ですね。誰もがポジティブ・シンキングは大切だと主張し、怪しむ者はいません。
そもそも積極思考が、なぜさように大事な考えか少しも反省しませんね。文語訳旧約聖書の「伝道之書」の七章三節、四節を以下に引用しましょう。
悲哀(かなしみ)は嬉笑(わらひ)に愈(まさ)る其(そ)は面(かほ)に憂色(うれひ)を帯ぶるなれば心も善(よき)にむかへばなり 賢き者の心は哀傷(かなしみ)の家にあり愚かなる者の心は喜楽(たのしみ)の家にあり
出典:文語訳旧約聖書「伝道之書」七章三節、四節
ここには少しも現代流のいわゆるポジティブ・シンキングを見つけることはできません。
冒頭の「キリスト教会の牧師でありながら」という表現は「キリスト教会の牧師だからこそ」というふうに改める必要があるかも知れません。
この記事のタイトルである「メメント・モリ」とはラテン語で「自分は(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句です。日本語では「死を記憶せよ」と訳されるのが普通なのだそうです。
死を忌(い)むべきものとして考えないようにして避けるか、死を乗り越えられるものとして真摯に対峙(たいじ)するか。あなたはどういう態度を取りますか。
積極思考派のあなたなら死に対しても積極的に考えないといけませんね。ポジティブ・シンキングを標榜(ひょうぼう)するならそこまで徹底したまえ。
ところが現代人は、そこまでの覚悟もないまま、お題目のようにポジティブ・シンキングを唱えるばかりで一向に反省しようとしません。現代人よ、死を記憶せよ!