ランキング

思うに、ランキングの行き着く先は「人間の序列化」に他なりません。

読者諸賢もご承知のとおり音楽の世界にはランキングがありますが、これほど不可解なことはない、と思います。

ミュージシャンは誰がいいのか、とかどの曲を気に入るのか、とかは個人の趣味の問題であり順位付けできないものだと思うのです。

ブログにもランキングがありますね。実に心ない仕組みだと思います。何を基準にブログの格付けをするのでしょう。

やはりアクセス数でしょうか。思うにブログの内容は決して数値化できないものです。自分にとっていいな、と思えるブログが、その人にとってのいいブログなのです。

どんなに人気があるブログでも自分がいい、と思えなければ、そのブログはいいブログとは言えないと思います。

そもそも数値化できない音楽やブログの内容を何故、あえて数値化する必要があるのでしょうか。

以上の不可解さは言葉を換えて説明すれば音楽やブログの世界に偏差値を導入するのと選ぶところはないと考えます。

入学試験に偏差値が導入されてから学校間の格差が(幾分かの皮肉と揶揄を込めて述べますが)綺麗に階層化されたそうです。

学力に差があるというのは仕方がないことではないか、という反論が聞こえてきそうです。けれども、そもそも学力は数値化に馴染(なじ)まないものです。

学力が数値化に馴染むと考えている人は一度、偏差値を導入するに至った経緯や沿革を調べてみるといい、と思います。

国語を例にとりましょう。思うに、そもそも書く力や読む力などテストで評価できないものです。

そんなことはない、日本最高峰の東大卒の作家でいい作家は多くいる、という意見があるいはあるかも知れません。

それなら偏差値では東大に著しく劣る早大卒の作家は数からいったら東大卒の作家よりも多くいます。ノーベル文学賞の有力な候補である作家、村上春樹も早大卒です。

高い学力があれば高い能力があると概ね言えますが完全に一致するものではありません。偏差値が高い大学を卒業しても社会で活躍できている人は多くはいません。

ランキングの行き着く先は「人間の序列化」です。もうすでにその萌芽(ほうが)は見えているのではありますまいか。

いわゆる「勝ち組」「負け組」という単純な二元論はランキングの行き着いた先である「人間の序列化」のひとつに他なりません。

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