二種類の議論~現代教育における対話の意義~(3)

まず、「感情的にさえ見える」という点について。誰でも物を考える時に考える前提というものを持っています。もちろん、aniさんや僕もその例外たり得ない。

僕ら現代人は感情でないものが理知で、理知でないものが感情、というふうに考えがちであります。これが現代人の物を考える前提のひとつです。

しかし、このような前提はおかしいのではないか。僕らはロボットではないのです。感情を持っている血の通った人間です。

したがって、文章を草す時(議論する時も)は感情、理知、想像力などを総動員していいのです。否、総動員して書かねばならないのです。

そうでない文章はそれこそ生硬で理屈っぽい文章に堕(だ)してしまうでしょう。したがって、感情でないものが理知で理知でないものが感情であるという区別をつけることはできないのです。

両者が切り離すことができない不可分なものであることは僕らの経験が教えています。このような単純な二元論は僕らの悟性の古くからある習慣に過ぎません。

もう一つの「飲酒」=「アル中になる」という図式が極端だという意見について。極端であろうとなかろうと僕は重要なテーマについて問題提起をしたいのです。

議論の優先順位はその議論のテーマが重要か否かで決まるものです。極端か否かは二次的なことです。たしかに僕の意見は極端かも知れません。

しかし「アルコール中毒」の問題は等閑視(とうかんし)できない非常に重要な問題ではないでしょうか。さらに言えば“極端”をなぜ悪く言うのでしょうか。

極端に成績のいい人は東大に入学できます。極端に容貌が美しい人は俳優になれます。一歩譲ってこれらを詭弁だと言うなら飲酒運転による重大事故など、酒の悪い点は幾らでも挙げることができます。

先日、実家で、たまたまテレビのニュースを見ていたら飲酒運転により無辜(むこ)の少女を死亡させた事件があったことを知りました。

何の罪もない少女を自動車に巻き込みアスファルトの道路上を700メートル近く引きずって死亡させた痛ましい事件があったのです。

加害者である運転手の自動車に同乗していた男の公判(刑事裁判において、公判期日に法廷でなされる審理のこと)の結果がテレビで報道されていたのです。

被害者の母親は込み上げる嗚咽(おえつ)を抑えながら涙を流して訥々(とつとつ)とテレビの取材に応じていました。この母親のインタビューの模様を見ていて僕も覚えず目頭が熱くなりました。

まだ言いたいことはたくさんありますが、くだくだしくなるのでもう擱筆(かくひつ)したいと思います。aniさんと僕の飲酒論争はまだ決着はついていません。

aniさんの仰るように聖書が飲酒を肯定しているか、それとも否定しているか、についての論拠は聖書のみことばに求めるべきである、という主張は正当で理に適っています。

それゆえに聖書を熟読玩味(じゅくどくがんみ)してaniさんの飲酒肯定の立場に対する論難をするつもりです。(了)

※この記事はわたしが、2017年7月8日にgoo blogに記したものを殆んど原文のまま公開しています。

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📖 この記事に登場する難しい言葉の一覧表(AI作成)

難しい言葉読み方意味の説明
生硬せいこう表現がぎこちなく、かたくるしいこと
理知りち理性による知恵、論理的な知識
不可分ふかぶん分けることができない、切り離せないこと
二元論にげんろん物事を二つの対立する要素に分けて考えること
等閑視とうかんし重要なことを軽く扱うこと、なおざりにすること
詭弁きべん一見正しいように見えるが、実は誤った議論
無辜むこ罪のない人、無実の人
公判こうはん裁判で、法廷で行われる審理のこと
嗚咽おえつ泣きながら声を詰まらせること
訥々とつとつ口ごもりながら、ゆっくり話すさま
擱筆かくひつ筆を置くこと、文章を書くのをやめること
熟読玩味じゅくどくがんみ文章をよく読み、意味を味わい理解すること
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