亡霊小林秀雄との対話
以下の対話はわたしが高校生の頃から敬愛してやまない知の巨人たる評論家、小林秀雄との対話を想像して記した創作(フィクション)です。しばらくお付き合いくださると幸いです。
水上 先生の全集を揃えましたよ。十三巻と別巻二巻だから併せて十五巻です。まだ四巻、読み残していますが先生の仰りたいことはだいたい分かったつもりです。
いやあ、しんどかった。まあ、まだ全部読まない内から弱音を吐いちゃいけないが…。先生の文章は難しいですね。
小林 難しい?そんなことを言われると少し腹が立つな。僕の文章を難しい、難しい、と人はよく言うけど、そもそも人生が難しいじゃないか。
人生が単純で簡単だと言うなら僕が悪いです。でも、単純な文体で簡単に書くことができない問題というものが人生には実際に存在しています。
人生が簡単だと言っている人はいないよ。人生には人生の味わいがあるじゃないか。そりゃあ、若い頃は虚栄心がありますから簡単に済むところも小難しく書いたりして生意気なこともやりました。
それでも、そういうことはある時期を過ぎればなくなるもので、今は簡単に書けるところは簡単に書いていますよ。
水上 今?先生は死んでしまっているのにまだ書いている、というのですか。
小林 うん、物書きの業だな。ほら、僕の手を触ってごらん。この手で書いているのだ、ほら。
水上 うわー、冷たい!そ、それにしても凄まじいまでの執念ですね。お言葉を返すようで恐縮ですが率直に申しあげて難しいものは難しいのです(気味が悪いなあ)。
先生の作品を読むのは、文芸評論家ばかりでしょうか。いえ、皮肉ではないのです。そうです。わたしのような一般の読者でも先生の作品の魅力は十分、理解できるのです。
ええ。第一、プロにしか分からない文芸作品など意味がありません。けれども、わたしは一般の読者に迎合せよ、と申しているわけではありません。
いや、わたしは一般の読者を意識して、もっと分かりやすく書いてくだされば、さらによかったのに、という趣旨のことを申しあげたいだけなのです。
小林 蒸し返しだな。はあ、君はどうして…。じゃあ、こう言いましょう。僕がそんなことに気づいていなかった、というのは酷いな。そんなことは百も承知です。
分かりやすい文章を読んで、あー、分かったと得心して、じゃあ、それが何だと言うの?理解しやすい、というのは君が気づいている論点について敷衍(ふえん)された文章を読む、ということでしょう。じゃあ、それは単なる確認じゃないか。
つづく