亡霊小林秀雄との対話(3)
小林 まあ、君の言いたいことは分かります。ただ、科学的思考法、つまり、一般的に言われている、いわゆる合理的思考法を僕らの人生に果たして適用できるのかな。
僕は科学という学問の考え方を人生に援用する、ということに非常に懐疑的なのです。科学のメソッドは科学という学問をするためには有効でしょうが人生を生きていくために必要だとはどうしても思えない。
例えば科学は計測すること抜きには語ることができない計測する学問だが人生を計測することはできません。
自由は計測できるでしょうか。自由は計測されることを拒みます。「自由」と「計測」は矛盾した概念です。もっと端的に表現すれば人間の可能性は数字では計れないし、そもそも数字に置き換えることができません。そうじゃないか?
このことからも科学的メソッドは人の生き方とは無縁なことが明らかです。僕の語っていることは単純なことです。
真理は単純ですが、それを表現するのは骨が折れる大変、難しい作業です。僕の文学が目指しているのはそこです。
僕が語っているのは常識ではありません。真実なのです。常識は常に真ならず、なのです。常識について語っているのなら格別、真実を語っているのですから普通の考え方とは真っ向から衝突してしまう場合があるのは当然です。だから知的マゾキズムでもないのです。
例えば君はクリスチャンだから言うのだが新約聖書、殊に福音書を逆説的な表現が多い書物だと怪しんでいる人がたくさんいますが真理は単純なのです。
この今の世界の方がひっくり返っているのだね。そこに気づけない人が多くいるのは残念なことです。
水上 同感です。そういう逆立ちした世界にわれわれ現代人は否応なく立たされている。何も現代人に特有な問題ではないでしょうね。
太古の昔から罪ゆえに人間は倒錯した世界で生きざるを得なかった。つまり生きていく辛さ、難しさ、というのは昔から連綿として存在する人類の永遠の課題といえるでしょうね。
どんな頭の立派な人にとっても実人生は難しい、と先生が仰るゆえんです。
了