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人生のゴールは乞食であろうと天皇であろうと人を選ばず、誰であれ死であります。まさか異論はありますまい。人間の致死率は百パーセントです。
死の向こうに天国が待っていると確信できれば、この人生で出来(しゅったい)する様々な不条理にも容易(たやす)く耐えていけるはずです。
「人は死んだらゴミになる」と、かつて某検事総長がのたまったらしいですが難関の司法試験に合格を果たした人の言葉とは思えません。
現代の科挙と言われる試験に合格して出世をし、検事総長にまで上り詰めた、いわゆる成功者の言葉がこんな不見識のていたらくなのであります。
地位ある人の正直な言葉ではあるのでしょうが、これではあまりに内容がないし、淋し過ぎます。わたしが、かねてより成功と幸福は同義ではない、と主張するゆえんであります。
死んだら無になるだとか、ゴミになるという思想信条で、検事総長と比較すれば凡夫であるわれわれは、この困難な現世(うつせみ)を渡っていけるでしょうか。
わたしは死の向こうには永遠の世界がある、と信じています。嗤(わら)わば嗤え!嗤うあなたは死んだら無になるのですか。ゴミになるのですか。
この残酷と間抜けが同居しているような殺伐とした思想こそ嗤うべき背理(はいり)が含まれているのではありますまいか。
この救いのない思想は人類が長い歴史をかけて勝ち取ってきた人権思想を掲げている今日の憲法の考え方に著しく反する、とわたしは考えます。
憲法の精神を遵守しなければならない法律家を束ねる高い地位にある人の前掲の言葉は人間の尊厳を踏み躙(にじ)る何とお粗末な言葉であることでしょうか。
若かりし頃、法曹(ほうそう)を目指した人間のひとりとしてもわたしは自分の全存在を懸けてこの思想に抗(あらが)います。
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