今日はわたしの誕生日です。今日まで生かされた事に感謝します
今日はわたしの誕生日です。年齢は公表しませんが今日まで生かされたことに感謝せねばなりますまい。誰に?神様に、であります。
われわれ人間はどんなに医療技術が進歩したところで死ぬときは死にます。健やかに生きられても80歳、90歳の命です。命の主権者は神様です。
われわれは神様によって生かされているのです。人間は自分の髪の毛一筋すら黒くも白くもできません。われわれは神様の前に謙虚であるべきです。
わたしはこれまでに、さまざまな訃報(ふほう)に接してきました。慕っていたキリスト者の兄貴分も若くして天に召されました。大腸癌でした。
先週はその兄貴分のお父さまも天に召されました。厳しい暑さもようやく和らいだ今、天国へ旅立っていかれました。いずれ天国で再会できるはずですが、それでも哀しい。
この夏、帰省した際に父が独り言のようにこの世は蜃気楼(しんきろう)のようなものだ、と言っていました。本当にそのとおりだなあ、とわたしは思いました。
読者の皆さんは、お若いので(わたしも皆さんはお若いので、などという年齢になりました)、この世は蜃気楼だなどと抹香臭い考え方に顔を顰(しか)めるかも知れません。
この世では誰もが日当たりのいい場所を獲得しようと必死です。しかしながら、父に言わせれば、さようなものは蜃気楼にすぎないのです。わたしもそう思います。
この世では貧乏であってもいい。高級な自動車を持っていなくてもいい。立派な持ち家がなくてもいい。幸福でなくとも少しも構わない。
さようなものは世間の人々が熱心に求めているものですが所詮(しょせん)は蜃気楼にすぎません。この世限りのものです。次の世には持っていけません。
大事なのは次の世です。この世は次の世に行くための控えの間にほかなりません。わたしの大好きな教会員の方々が待っているであろう天国へ行くための通過地点なのです。
さはさりながら決して、この世でいい加減な生き方をしていい、と言うのではありません。われわれは自分に与えられた仕事に熱心に打ち込むべきです。
わたしは自分のできることで、お金を稼いで経済的に誰かに頼る、という恥ずべきことにならぬように努めています。自己の尊厳を守るためにも懸命に働いています。
そして最後に、よくやったよい忠実な僕(しもべ)だ、と神様に褒めていただきたいのです。世間の評価など、どうでもいい、と思っています。
名古屋UP国語塾の塾長として、これからも一生懸命、走っていきますので読書諸賢の応援をよろしくお願いいたします。