働くという事

わたしは昔から今に至るまで作り笑い愛想笑いの類が苦手です。画像はイメージです。

年輩の店員は仕事を始めてまだ日が浅かったのかも知れません。店のスタッフは口にこそ出さなかったものの皆が皆、この年輩のスタッフの要領の悪さにイライラしていたように見受けられました。

そういう険悪な雰囲気は店内が狭いのも手伝って客のわたしにもしっかり伝わっていました。店内のスタッフは舌打ちこそしなかったものの苦虫を嚙み潰したような表情で、この高齢の同僚の仕事ぶりに我慢していたようでした。

彼は周りのスタッフから白い眼で見られていたのです。わたしが立ち寄ったときはマクドナルドなのにスマイルゼロでした。スタッフの顔が皆、こわばっていて笑顔が消えていたのです。

わたしは注文したコーヒーを受け取り、父が待つ自動車へ向かいました。父は満足そうに受け取って「ありがとう」と抑揚(よくよう)のない声で言いました。

父は喉の癌で声帯を切除しているので喉に道具を当てて声を出すのです。それゆえに抑揚のない声になるのです。マクドナルドには夜、銭湯から実家へ帰る途中に立ち寄りました。

田舎は都会とは違って娯楽が、たくさんあるわけではないので帰省した折に父と安い市営の銭湯に行くのが通例となっています。

当該店舗には父と銭湯へ行った帰りにいつも立ち寄るのですが、くだんのスタッフは初めて見る顔でした。そして、おや、と思うほどの年輩の方でした。

読者諸賢はこの年輩の店員をどう思われるでしょうか。使えない店員、空気が読めない店員、など思うところは色々あるでしょう。

しかし、わたしは、この年輩の店員こそ勇気のある漢(おとこ)だと思うのです。わたしももう若いとは言えない人間ですが、まさかこの年でマクドナルドで働こう、とは思いません。

店内で働いているスタッフが若い連中ばかりであることはマクドナルドでハンバーガーなりポテトなりジュースなりを注文した経験のある人なら誰でも判ることです。

若い連中のなかに飛び込んでゼロから仕事を覚える、というあの年輩の店員の態度には素直に頭が下がります。

若い店員のいる職場に思い切って飛び込んでも、もらえるお金はたかが知れています。ご承知のとおり、なにせ給与は時給で計算されるのですから。 つづく

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