内省するひと時を持つ
思うに現代はスピードが過剰に求められる時代です。入学試験では、もちろん、社会のあらゆるシーンでスピードが要求されます。
一例を挙げれば、われわれの食生活に浸透している、いわゆるファストフードの存在が挙げられると思います。
わたしもインスタント食品やレトルト食品などにお世話になっているので、それらを簡単に批判はできません。
しかし、ファストフードには良い面と悪い面があり、功罪相半ばすることを承知しつつも作る手間暇を惜しんで大切な何かを犠牲にしているという批判はできるでしょう。
それは、もしかしたら栄養かもしれません。あるいは愛情かもしれません。それとも別の何かかも知れません。
このような時代の波のさなかで内面を深化させることは非常にむずかしいと言わなければなりません。
静まって自己を吟味する、内省するという時間が現代人には無駄のように思えてもったいないのです。
瞑想とか祈祷という静謐(せいひつ)なひとときは思うに現代人からは最も大きくかけ離れている時間です。
現代人の特徴はすぐに行動したがる、という点にあるように思われます。行動しないで愚図愚図していると何をやっているのだ、と叱られます。
けれども立ち止まって自分自身と対峙(たいじ)するひとときを持たなければならない、とわたしは思うのです。
それは決して無駄な時間ではありません。むしろ心に栄養を与える豊饒(ほうじょう)なひとときでさえあります。
そうしないで行動ばかりしていると早晩、精神が枯渇して精神的でないことに汲々としてしまうことになるでしょう。
そう、浅薄な俗物に成り下がってしまうのです。わたしは、かつて、そういう人物と知り合い、長くつき合ったことがあるので、そのへんの事情がよく分かります。
わたしは大事なものはしっかりと抱きながら、ぶれることなく今日も塾の仕事をがんばりたいと思っております。