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現代では合理主義思想が流行っていて小さな努力で大きな成果を実現する、ということに皆、躍起(やっき)になっているように見受けられます。
教育業界でも事情は同じようです。生徒諸君は説明が分かりやすい教師を高く評価します。それにも一理ありますが分かりやすい説明を求める背景には勉強への安直な姿勢がないか。
生徒諸君は苦労せずに早く成績を上げたいのです。手っ取り早く実力を伸ばしたいのです。これは現代の病気だ、とわたしは思っています。
実力を伸ばす、ということと苦労する、ということは同じ意味ですよ。皆、楽をして成績を上げたいのです。しかし、さような事はどのような方法論を以てしてもできやしません。
わたしの書く文章は難しい、と言われることがあります。言われると、そうかなと思うのですが自分では難しい文章を書いている、という自覚はありません。
わたしは歌は詠みませんが、歌のつもりで、この記事の文章を書いています。歌と論文は少しも違いません。
歌を難しい、と言っている人はいませんよ。簡単だ、とも言いませんね。歌には歌の味わいがあるではないか。
読者諸賢は文章らしい文章に出合うと、この文章は難しい、というのです。そもそもこの書き手はどういうつもりで言語表現をしているのか、と考えると文章はみな難しいのです。
つまり文章を理解するということは、もうそれだけで底知れぬ大問題なのです。文章の背後には人がいますからね。ゆえに国語の力を伸ばすには多くの時間と努力が必要になります。
ちょこちょこと国語の勉強をしたからといって著しく上達することにはならないのです。合理主義思想を疑い、うまい話などない、と最初から腹をくくって努力を厭わないことです。
そもそも国語がすべての教科の土台であると言うならば、すべての教科の土台がそう簡単に構築できるはずはない、と考えるのが常識ではありますまいか。
最後に本居宣長が著した有名な『うひ山ぶみ』の一部を引用して、この記事を締めくくりたい、と思います。
詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても、怠たりてつとめざれば、功はなし。
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