原点

画像はベトナムはサイゴンの林立するビルの風景です。

わたしが最初に塾講師として働いたのがM塾でした。M塾は家族経営のアットホームな雰囲気の個人塾でした。わたしは最初、実家から通っていたのですが途中で引っ越したので、M塾時代のことは、よく覚えています。

わたしは実家から離れた場所に賃貸マンションを借りて、そこから塾へ通いました。実家を離れて一人暮らしを始めたのと並行して新しい仕事にも従事したのです。

新しい住まいから塾へは軽自動車で通いました。中古の軽自動車を父のツテを頼って購入したのです。地方は名古屋などとは違って自動車が必需品です。贅沢(ぜいたく)をしている訳ではありません。

塾長はMという、わたしより少し年上の男の先生で生徒たちから絶大な人気を得ていました。ですからM塾は個人塾ではありましたが校門配布などをせず授業に集中すればよかったのです。今思うと羨(うらや)ましい限りです。

M先生の父親は名古屋大学の教授でした。この父親がM塾を立ち上げたのでした。M先生ご自身も滝高校を卒業していて、その後に渡米してアメリカの大学を卒業していました。

授業で流暢(りゅうちょう)な英語を話されていたのが印象に残っています。頭がよく人柄も温厚で子供たちからとても好かれていました。

先生から集団授業の教え方からはじめて様々なことを学びました。その当時のわたしは塾業界のことなど右も左も分からなかったのでM先生から多くを教えてもらいました。

先生は生徒とのコミュニケーションを重要視されていて、わたしは休み時間も生徒とともに過ごすことを促されていました。塾の講師は塾にいる限り休む時間などないのです。

教える技術などよりは生徒との信頼関係を築くことを優先されていたのだと思います。後年、塾講師のときはもちろん、家庭教師として働いたときも、さような姿勢は役立った、と思っています。

講師によっては、たまに生徒に対して高圧的に接する人もいますが、思うに生徒に寄り添う姿勢が大事なのだと思います。生徒の人格を尊重して親愛を込めて接する、ということだと思います。

今ではM塾はMグループとして国内はもとより世界進出しています。現在、M先生は成長した息子さんと一緒にベトナムで習い事の塾を展開されています。

あのM先生ならきっと大丈夫でしょう。わたしは名古屋の地でMグループの発展をそしてM先生のご活躍を陰ながら応援しているしだいです。

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