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聖書にはこんな言葉があります。すなわち《この世の子らは光の子らよりも利口である》。思うにキリスト者だから世間で平穏無事に暮らすことができて万事、順風満帆であるとは限らない。
むしろ問題課題が山積しているかも知れません。キリスト教徒ということで色眼鏡で見られることもあります。これは、わたしの経験を記しています。
一見すると世間一般の人々の方が上手く立ち回りこの人生行路を何の苦もなく生きているように思えることもあります。
けれども、それはあくまでもこの世でのことです。吾人は人生の終着点に、あるいはそれ以後に、目を向けなければなりません。
死後の世界までを含むパースペクティブで見ますと事情は著しく違ってきます。しかし残念なことにキリスト者ですら以上のことに思いが及ばない人がいます。
いわゆる「勝ち組」「負け組」などというこの世の単純なステレオタイプに絡め取られている人は少なくありません。本物というのは何処の世界にも多くはいないのです。
むろん、だからといって、この人生を粗末に、おざなりに生きていいはずはない。人生をいい加減に生きていい、とは決して申してはいません。
この人生は永遠の世界への入り口である、ゆえに人生は厳粛であり大切である、と主張したいのです。天国と地獄は必ずあるのです。
われわれキリスト者は日々、聖書を読み、熱心に祈り、間違った方向に逸(そ)れてゆかないようにバランスを取りながら日々、綱渡りをしているのです。
ですから、わたしはキリスト者として、これからも勤勉に信仰生活にいそしみたい。日々、怠ることなく聖書や信仰書を読んでゆきたい。そして世のため人のために熱心に祈ってゆきたい。
わたしの敬愛する両親のように。立派な、いにしえの聖徒たちのように。キリスト者の同志諸君、外野からは心ない悪口雑言を必ず浴びせられましょう。
けれども失望することなく熱心に信仰の道を歩んでゆこうではありませんか。この世での旅路はいいことばかりではありません。
そうであってなお、やる気をなくさずゴールを目指そうではありませんか。天国を目指そうではありませんか。なお、本記事のタイトルは大江健三郎の同名のエッセイ集から拝借したことを付記しておきます。(了)
| 難しい言葉 | 読み方 | 意味の説明 |
|---|---|---|
| 厳粛 | げんしゅく | まじめで心を引き締めた様子。 |
| 綱渡り(比喩) | つなわたり | 危うい状況でバランスを取りながら進むこと。信仰生活の比喩。 |
| 光の子ら | ひかりのこら | 聖書的表現で、神に従う人々。 |
| 色眼鏡 | いろめがね | 偏見をもって物事を見ること。 |
| パースペクティブ | ぱーすぺくてぃぶ | 視点・展望。ここでは「死後を含めた広い見通し」。 |
| ステレオタイプ | すてれおたいぷ | 型にはまった固定的な考え方。 |
| 聖徒 | せいと | 信仰に篤い人、聖なる人。 |
| 悪口雑言 | あっこうぞうごん | ひどい悪口や罵りの言葉。 |

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