受験生諸君へ
受験生のみんな、甲子園に出場して敗けたチームのメンバーは泣きながら甲子園の砂を集めているだろう。なぜだかわかるかい?
悔しいからだよ。一生懸命、雨の日も風の日も白球を追って厳しい練習に耐えてやっと甲子園という檜(ひのき)舞台に立てた。でも敗けた。そりゃあ、悔しいよ。
では、みんなは甲子園で敗けた高校球児みたいに心の底から悔しい思いをしたことがあるか?僕は何度もある。その中でも僕が中学生の頃のエピソードを話そうか。
僕は目標を立てていた。学年二百数十余名中三十番以内に必ず入るぞ、と。あるテストの時、三十番以内に入れなくって非常に悔しく、給食の時も食べながら勉強した経験がある。
周りの目?全然気にならなかったね。深夜未明まで勉強して学校の授業終了の合図(例の起立、礼というヤツ)に気がつかずみんなが起立しているのに僕だけ机に突っ伏したまま居眠りをしていて笑われたこともある。
でも先生はおろかクラスメートでも咎めだてたりするヤツは一人もいなかった。僕が本気で勉強に打ち込んでいる様(さま)を日ごろから見ていたからだったと今、振り返ってみると、そう思うよ。
僕はなりふり構わず一生懸命勉強したんだよ。どのくらいかって?今が朝なのか夜なのか学校か家か分からないくらいやったね。
一生懸命、練習して結果がでなければとても悔しいものなんだよ。まあ、しかし、給食の時も勉強するのはお勧めしないけどね。下手をすると変人扱いされて、いじめられるから(笑)。
ちなみに僕は本気だったし、成績も悪くなかったので、繰り返すまでもなく、からかったり、ちょっかい出したりしたヤツは一人だにいなかったよ。
本気モードの人間は身にまとうオーラに何かしら侵しがたい威厳があるんだと思う。みんなは、徹底的に努力したことはあるかい?
最初に悔しい思いをしたことがあるかって尋ねたよね。それは言い換えれば徹底的に努力した経験があるか、という質問と同じなんだよ。
古代ギリシャだったと思うんだけどデモステネスという大雄弁家がいた。この人は吃音(きつおん)だった。吃音ってわかるかなあ。
吃音というのはヤバイ差別用語で言えば「どもり」ということだ。吃音は僕たちと無縁ではないよ。心憎からず思っている女の子に告白する時、僕たちは一時的に吃音になる。
そういう雄弁家にとっては致命的な欠点をデモステネスは持っていたんだね。でもデモステネスは諦めなかった。海岸で来る日も来る日も大声を出して雄弁術の練習を繰り返した、と伝えられている。
みんなもデモステネスのように練習を徹底的にやろうよ。これが歴史に倣(なら)うという事なんだ。某テレビ局の大河ドラマを観て歴史の知識を増やすことが歴史の勉強ではないんだよ。
歴史上の人物の美点を自分で再現しようと努めることこそが本当の意味で歴史を学ぶということなんだ。みんな、よく覚えておいてくれよ。
これまでの文章は受験勉強をしている諸君に贈る文章であるとともに実は僕が自分自身を鼓舞(こぶ)するための文章としても書き記したんだ。
では、体に気を付けてがんばりなよ。風邪なんかひくなよ。君の朗報をぜひ聞かせて欲しい。