読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
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良い文章を書くためには何が必要か。それは感動を覚える、という一事に尽きます。自分が感動を覚えてもいないことについて、くだくだ記しても読み手の心には響きません。
わたしは小学生の内からさまざまなことに感動を覚える感受性を養うことの重要性を良い文章を書くときの心得としてまず挙げたい、と思います。
したがって素直で人の好い少し単純な人が良い文章を書くのに適している人だと大真面目に考えています。こう書くと書き手の悪口みたいに聞こえますね。
もう少し肯定的に述べますと瑞々しい感受性の持ち主が文章を書くときには有利だと思います。さような人の書く文章というのは読み手にとって心地よく感じられるからです。
そして、これは妙なことを記すと思われるかも知れませんが少しズレたような人の文章は面白いです。これについては、わたしが中学生のときに国語の教師から聞いた逸話が今も心に残っています。
それはこういう逸話です。その先生の教え子に成績は芳しくなく、いつも洟(はな)を垂らしているような生徒がいたそうです。しかし彼は短歌のコンクールに何回も入選していたそうです。
ちなみに、そのコンクールは年齢を選ばないコンクールで、その先生は知恵を絞って渾身(こんしん)の力作を提出したそうですが、どうやっても一回も入選できなかったそうです。
ものを書くのは頭も使いますが心こそが大事なのだと当時、中学生の水上少年は感銘を受けたらしい。だから髪に白いものが混じるようになった今でもさような逸話を覚えているのです。
文章を綴るのも歌を詠むのと全然、違いません。以前にも書きましたが、わたしは歌は詠みませんが文章は歌のつもりで記しています。肝腎なのは文章の背後にある心なのです。
閑話休題。少しズレたような人の文章が面白いのには理由があります。それは、わたしが思うに次のような理由です。
すなわち、日本というのは良くも悪くも横並びで均一な社会で、さような社会においてズレている人というのはたくさん苦しい目に遭(あ)っているからです。
そういう条件が揃ったうえで上手くいくと味のある文章を書くことができる、と思うのです。良い文章や味のある文章を書くためには現代人が最も嫌い、最も恐れる、深い苦しみがどうしても必要です。
わたしの文章にもし評価に値するものがあるとすれば、わたしは他の誰よりも多く苦しんだ、ということです。言い換えますと文章を磨くには辛い目に多く遭遇することが必要になります。
残念なことですが少し変わった人のすべてが良い文章を書けるわけではありません。しかし、上手くすると名文を書く可能性は十分にある、とわたしは真剣に考えています。

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