天白区平針駅前にある国語専門塾の塾長雑感(14)

授業後生徒が教室に戻って来て、わたしに差し入れをくれた。その気持ちが、すこぶる嬉しかった。

10月に入って当サイトをだいぶ修正した。ご覧のとおりだ。その際に様々なテクニックを習得することができた。今後も修正できる箇所があれば、これまでの知見を生かして修正していきたい。

修正する際に色々な塾のホームページを参考にさせていただいた。各方面に迷惑がかからないように十分な配慮をして制作したつもりだ。

当塾はホームページ経由の入塾が100パーセントなので、ここまで力を入れているのだ。修正したことで当サイトの閲覧者が増えたことがデータ分析から判っている。

先週も地元の教会の礼拝に出席して来た。12年ぶりにまた通い始めたのだが世代交代が進んでいて、わたしの居場所はないように思えた。顔馴染みの信仰の先輩方もすでに召天しておられる。

礼拝で語られていたのは詰まるところヒューマニズムであり、それに付随した処世術であったように思う。神の言葉を聞きたかった。人間中心主義ではなく神中心主義が信仰の肝(きも)ではなかったか。

大きく見える小学生がいる。大きい小学生ではない。ずっと塾生と付き合ってきて振り返ると、そう思う。これは実際に小学生と向き合う仕事をしていないと理解できない感覚かも知れぬ。

当塾では現在、アルバイトを募集している。募集要項は当サイトにて告知している。講師の求人ではない。ホームページ制作の際の撮影を手伝ってもらう人員を募っているのだ。

天白区あるいはその近郊には大学がいくつかある。大学まで出かけて行って直接交渉することも考えたがAIから止めた方がいい、との助言をもらったので止めにした。

大学生諸君よ、高時給を謳う闇バイトなぞ、やるな。合法的で時給4千円のアルバイトがここにあるぞ。実働時間は30分だけれど。いい人が来てくれるといいな。

「悪魔と地獄の存在を信じているわたしを侮るのはよくないことだ」とドストエフスキーは語った。世の光、地の塩たらんと欲するなら必ず悪魔から執拗に攻撃されることを忘れてはなるまい。

人からの評価を気にして小心翼々と小市民的に生きている信仰者の何と多いことか。わたしが語るのは僭越ではあるが。われわれは信仰の道を進むとき人の評価を気にしない大暗愚になるべきだ。

たとえ震えるほどの恐怖に見舞われても。ひどく嫌われても。疎まれても。あしらわれても。陰口、悪口雑言を言われても。意地悪をされても。神は見ておられる。真実の僕の一挙手一投足を見ておられる。

われら四方より患難を受くれども窮せず、爲ん方つくれども希望を失はず、責めらるれども棄てられず、倒さるれども亡びず、常にイエスの死を我らの身に負ふ。(コリント後書第四章より)

  

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