学問の目次
わたしが勉強を教えるときの指導理念を簡単に述べると生徒に「勉強の愉しさを経験してもらう」ということに尽きます。勉強が愉しいと思えるようになれば成績は早晩、必ず向上します。
そのために、わたしは毎回の授業をまず教師である自分が愉しむように心がけています。思うに先生が愉しんで授業を行えば、それは必ず生徒たちに伝わります。
さはさりながら勉強は愉しいことばかりではない、とも急いで言い足さなければなりません。勉強もスポーツと同じで、ある意味、厳しい世界です。上達するためには何回も何回も繰り返し練習する必要があります。
両者とも自分の技量が上がれば上がるほど愉しくなる点で共通していますが技量が上がるようになるまでは、やはり苦しい訓練の道を避けてとおることはできないのです。
いにしえの賢者の言葉に「学問に王道はない」という言葉がありますが、この格言は現代にも通用する真理を含んでいる、と思います。
栄冠をつかむためには徹底した練習をしなければなりません。マラソンを例にとりましょう。マラソンランナーは自分をとことん追い込むと走っている最中にランナーズハイと呼ばれる何とも言えない恍惚感(こうこつかん)にとらわれるといいます。
勉強もそこまで徹底して練習してほしい、とわたしは考えています。勉強の愉しさが実感できたらしめたものです。成績向上の山の頂き近くまで登ってきていると思っても間違いはないでしょう。
勉強が愉しいと思えれば教師が宿題を出すまでもなく自分でどんどん勉強するようにもなるでしょう。そうなれば必然的に成績は上向きます。
勉強は成績が上がると愉しいです。けれども苦しくつらい場合が多くあります。愉しい愉しいだけの子供の遊びとは違うのです。
しかしながら、障害があるからこそ、それを克服した時の気分は格別なのです。吾人は楽で愉しいだけの世界には耐えられないのです。人間の精神はそういうふうにできているのですね。
われわれ教師は生徒に思い違いをさせてはいけません。学校では魅力ある学問の目次を習っているにすぎないのです。思うに、すべて学生は学問の入り口にいるだけなのです。
ゆめゆめ慢心することなく目次の先に展開するはずである本物の学問を究めるための準備を学生時代に是非してほしい。わたしはそう願って、いつも授業に臨んでいます。