学歴の及ばぬ所
わたしの数少ない友人にA君がいます。A君とは、わたしの実家のある街の、いわゆる現場で知り合いました。彼は中卒です。
ふつう学歴の劣る者は学歴で勝る者と反目し敵対するというのが、わたしの経験が教えるところです。しかし、A君は違いました。偏見を持たずに、つきあってくれたのです。
その年の夏は酷暑でした。わたしは生活費を賄(まかな)うため、じりじりと陽が照りつける外で汗に塗(まみ)れて働きました。キツイ肉体労働でした。彼と共に川岸で草刈りをしたのです。
昼休みの際、涼しい場所を選んで弁当を食べました。遠くで蝉が喧(やかま)しく鳴いています。傍にいた彼は自分の弁当のおかずをわけてくれようとしました。
わたしが恐縮して遠慮の言葉を告げても黙って微笑んでいるだけです。わたしはお礼を言って有り難く頂戴(ちょうだい)しました。
わたしの弁当は、ご飯にふりかけがのっているだけの粗末な弁当だったので気の毒に思って配慮してくれたのでした。こういうことは一度や二度ではありませんでした。
彼の優しさが心に沁みました。同時に彼のこれまでの苦労に想いを致しました。苦労人は優しくて親切です。なぜなら自分の辛い経験から相手の辛さを忖度(そんたく)できるからです。
A君は自動車で毎日の送迎さえ惜しまずにしてくれました。わたしとA君は馬が合いました。全体、彼は打算的ではないし、ずるく立ち回るような人物でもないのです。
親しい人と接するときは真心を込めてつきあい、人を見下すような輩(やから)は徹底的に憎むのです。考え方がわたしとそっくりです。
彼は一度タクシーの運転手を車から引き摺(ひきず)り下ろしてボコボコにした経験があるそうです。きっと乱暴な運転や横柄な態度に我慢がならなかったのでしょう。
屈強なブラジル人とのストリート・ファイトも臆(おく)することなく買ったそうです。しかし、わたしと話すときはきちんと敬語を使います。
彼はわたしより年下なので気を遣ってくれているのでしょう。慇懃(いんぎん)な態度で接してくれます。けれども、それは決して人に阿(おもね)るような卑しい態度を意味しません。
わたしには大卒の友人もいます。しかし、彼らの中でA君のように打算的でなく誠実な人間が一体、何人いることか・・・。