安らぎを得ません
心というのは心理学などでは決してつかむことのできない広大無辺な小宇宙です。生理学が、心理学が、つまりは科学が心のメカニズム(もし心の動きがメカニックなものであるとするならば)を解明できた、と自惚(うぬぼ)れるなら、とんでもない間違いです。
たしかに、最近の大脳生理学や薬理学はおおいに成果を上げていて障碍者の症状に覿面(てきめん)に効く薬などを開発しています。
そういう科学の功績は、わたしとしても認めるにやぶさかではありません。心の病で苦しんでいる人々をよく助けている。それは高く評価できると思います。
けれども、現代の日本で自殺者が年に2万人を超えている現実(2023年の厚生労働省と警察庁の発表による)を果たして生理学や心理学は解決できているでしょうか。
この現代の社会に生きるわれわれの精神的荒廃はどこまでゆけば止まるのか。さような問題になると科学は全くの役立たずになります。
聖書は人間に罪があることを昔から倦(う)まず弛(たゆ)まず説いて来ました。そして死後に神の裁きがあり、永遠の世界があることを訴えつづけて来ました。
魂は不滅です。われわれの魂は死ねば消滅するものではない、ということです。さような考えを前論理的であると言って退けることはできないはずです。誰も死を免れる者はいないのですから。
われわれの魂は、あのアウグスティヌスが、その著書である『告白』で述べたように、神と出会い、罪を赦されて、和解に至るまでは安んずることはできないのであります。
彼は『告白』のなかで次のように述べています。「神よ、あなたはわたしたちをあなたご自身に向けて創造なさいました。それゆえ、わたしたちはあなたご自身の胸に憩うまでは、安らぎを得ません」。
したがって、われわれは天にある故郷に帰るその日まで有益な働きを妨げられないためにも心に栄養満点の神のみことばを蓄えて前進しつづけなければならないのです。
そのためには安息日(あんそくにち)に教会で礼拝するだけでは足りません。日々聖書を読み、祈りつづける必要があります。
いわゆる瞑想や祈祷は人間のメンタルヘルスを維持するために必要な天来の智恵だという言い方もできると思います。