心にも栄養を
古い統計で恐縮ですが2020年の厚生労働省による統計によれば国内の精神疾患で苦しんでいる患者の数は614万8千人だそうです。
この数値から判ることは国内の精神疾患で苦しんでいる人々の数はもっと多い、ということです。統計上に現れてこない予備軍まで含めるとしたら相当な数に上ると思うからです。
精神を病むということは心、もっと言えば魂が厳然として存在するということを証明していると、わたしは思います。なぜなら、さような疾病(しっぺい)の直接的な原因は身体にはないからです。
くだんの統計は心にも栄養が必要なことを示しているのではないでしょうか。言い換えると心にも休息が必要なのではないでしょうか。
われわれは精神を意識して弛緩(しかん)させないといけません。思うに長い緊張状態に精神は耐えられません。ロボットではないのですから。
したがって、たまの休日にはボーッと一日を過ごしても一向に構わないと思うのです。休みの日は一日中、寝巻きのまま布団に寝転がって色々なことに思いを巡らすのもいい。
家人はだらしがないなあ、などと野暮な文句を言わず、お互いにメンタルヘルスのためと理解を示し、大目に見るくらいでないと、お父さんやお母さんは潰(つぶ)れかねません。
ボーッとしていても無駄な過ごし方とはいえないのです。無駄の効用というのもあるのです。現代人は、どうも効率を求めすぎるきらいがあります。
さような効率主義の行き着いた先というものに思いを馳(は)せなければならないのです。行き着いた先が精神疾患であったのかも知れません。
わたしのかつての職場の同僚で休日もスケジュールでぎっしりだった男性がいます。本人は充実した余暇の過ごし方だと悦に入っていた節がありますが後に彼は心の病に罹患(りかん)して服薬が欠かせなくなりました。
彼は仕事はできましたし目端も利きました。そして社交的なタイプの人物でしたが気の毒なことに心の健康管理ができていなかったのです。
われわれは花を育てるときと同じように心にも水を注ぎ、太陽に照らし、栄養を与えなくてはなりません。休息を与えなければなりません。
それに気付けないので心を病んでしまうのではないでしょうか。心ってデリケートなものですね。