意外な発見
パスカルの『パンセ』に以下のような文章があります。以下は新潮文庫に収録されている『パンセ(冥想録)(上)』からの引用です。
七 人は知性を一そう多く持つに応じ、独自的なる人間の一そう多くいることを見出す。凡庸の者は人々のあいだに相違を見出さない。
パスカル『パンセ(冥想録)(上)』
この文章を敷衍(ふえん)して押し広げた文章が哲学者三木清の書き記した下記の文章であることにいつかの読書で気づきました。 その著書『人生論ノート』の「個性について」から引きましょう。ただし、引用者の判断で適宜、改行してあることを断っておきます。
自己に対して盲目な人の見る世界はただ一様の灰色である。自己の魂をまたたきせざる眼をもって凝視し得た人の前には、一切のものが光と色との美しい交錯において拡げられる。
恰もすぐれた画家がアムステルダムのユダヤ街にもつねに絵画的な美と気高い威厳とを見出し、その住民がギリシア人でないことを憂えなかったように、自己の個性の理解に透徹し得た人は最も平凡な人間の間においてさえそれぞれの個性を発見できるのである。
かようにして私はここでも個性が与えられたものでなく獲得されねばならないものであることを知るのである。
三木清『人生論ノート』
見事な要約というものがありますが、それとは逆の素晴らしい膨らませ方をした実にすぐれた換骨奪胎(かんこつだったい)の文章でただただ感心する他ありません。
思うに、表現には独自の考えや自分なりの切り口がなければ読む者の興味を惹(ひ)きません。そして、この発見も『パンセ』と『人生論ノート』を両方共に十分、読まなければできなかったと思います。
ただ、三木清はパスカルをよく研究していて『パスカルにおける人間の研究』という著作があるくらいです。わたしは、くだんの三木の著書の存在は知っていましたが上記のような発見ができたのは嬉しい次第でした。
読書の愉しみ、というのはこういう意外な発見に気づくことにもあるのではないでしょうか。注意して読んでみると洋の東西を超えて思想家同士の思わぬ共通点に驚くことがあるかも知れません。