思想的怠慢

画像は父が古本屋に売却する、というので無償で譲ってもらった岩波文庫の本です。

神はどこに在すか。その証明は「福音書」にある。ただそこにのみある。仏はどこに在すか。その証明は「経文」にある。ただそこにのみある。

宗教を否定するものは、経文や福音書にあらわれた釈迦とイエスの言葉そのものと対決して黒白を争うべきである。

出典:亀井勝一郎著『人生論・幸福論』(新潮文庫)但し、改行は引用者が施しました。

亀井勝一郎は若いときによく読みました。読んだのは高校生の頃でしょうか。『人生論・幸福論』を読み進めて上記の文章に出会ったとき、なるほどと思いました。

ほとんどの日本人は「福音書」も「経文」も読んでいません。そう断じて差し支えないはずです。ましてや旧新約聖書を通読している人など極々わずかです。

読んでいない人に限って、こちらがキリスト者だと判ると「神がいることを証明しろ」とか色々と面倒な注文をつけてきます。

そういう人には、それでは「神がいないことを証明してくれ」と返すことにしています。そういう返答をすると大方の相手は口を噤(つぐ)んでしまいます。

日本の無神論者は「福音書」や「経文」を読んだうえで神や仏を否定しているのか、というと必ずしもそうではないのです。

思うに日本のインテリで宗教に眉をひそめ自分の頭だけが頼りだと自惚れている者も聖書を通読したことなどないのではありますまいか。

ここでわたしの言う聖書とは『旧約聖書』と『新約聖書』のふたつを指します。ちなみに「福音書」とは『新約聖書』のうちキリストの弟子であるマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる四つの文書を指します。

四つの文書からなる「福音書」には弟子たちの師であるキリストの生涯およびその言行が記されています。

それはそれとして、驚くべきことには、あの東大の教授でも「聖霊」を「精霊」と間違って本を書いていらっしゃるのです。

そして、さような書物が出版されて一般に流通しているのです。わたしはキリスト者として呆れてしまう他ありません。

つづく

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