悪魔の水

これからの季節、ビールが旨いと言いますが、わたしは一滴も飲みません。

わたしは酒を飲みません。若い頃から避けてきました。やむを得ない酒席でもソフトドリンクやお茶を注文してもらいアルコールは飲みません。

人生には厭な事が多々あります。そこで、われわれは酒に逃避するようなことにならないとも限りません。

お酒は、いわゆるレーテの河として人生の途上で出来(しゅったい)する憂鬱で苦しいことを一時的に忘れさせてくれる作用があります。そこで弱い人はお酒に溺れるのです。

さようなことは、わたしの指摘を待つまでもなく常識でしょう。わたしは、お酒で憂さを晴らすことが嵩(こう)じて依存してしまうことを危惧します。

人生には思わぬ陥穽(かんせい)が口を開いていて、いつそこに落ちるか分かりません。落ちない、という保証はないでしょう。

さような際に老若男女の別を問わず、酒で駄目になるケースがあることは賢明な読者各位は承知されていることと思います。

なるほど、愉しい明るいお酒というのもありますがアルコール中毒者も最初はそうであったでしょう。われわれだけ絶対にアルコール中毒者にならない保証はないのです。

そうであるならば、最初から飲酒を慎めばいい。人はそんなに強くない、という思想が背景にはあります。

アルコールへの過度な依存はひとつの分かりやすい典型例として挙げました。他にも依存とまではゆかなくともアルコールの悪い点は多くあります。

さような酒のデメリットを考えてメリットと比較する時、酒の齎(もたら)すメリットを捨てるのに何の躊躇(ためら)いもわたしにはありませんでした。

わたしは今に至るまでそう考えています。ですから、そもそも酒席には出向きません。どうしても出席せざるを得ない時には酒ではなくお茶やソフトドリンクを頼みます。

酒席でお茶やソフトドリンクを頼むのですから奇異の目で見る人もいました。けれども、わたしは断固として酒を断り続けて今に至ります。

そういう誘いに敗けてキリスト者なのにアルコール中毒になった教会の後輩もいます。飲酒は最初の一杯を飲むか否かにかかっています。

少年よ、少女よ、われわれは酒を拒絶しても生きてゆけるのです。酒を断る勇気を持とうではありませんか。

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