授業は水モノ、だから面白い~国語専門塾の現場から~

月を信仰の対象にすべきではないが、お月見というのは日本独自の文化ではないかしら。

わたしは何をするにも力が入り過ぎるようだ。水道の蛇口もキツク締めるようで若い頃、父から、たしなめられたことを思い出す。

要するに何をするにも全力投球なのだ。さように書くと、いいように聞こえるが過ぎたるは猶及ばざるが如し、という言葉どおり、これまでの人生で余計な力みが裏目に出ていた。

もう何年も前に豊橋から名古屋に出向いて自費でプレゼンの研修を受けたときに熱血教師で優しい、という風な感想を何人かの方から頂いたことを思い出す。

昨日、小4生に教えていたが、いつもどおり熱意を込めて教えていたら生徒の目の色がいつもと違っていたのに気づいた。彼のやる気に俄然、火が点いたのだ。

子どもは素直だ。教師の熱意が伝わったのだ。教師の熱い気持は必ず伝わる。微妙なものだから、少し難しいから、といって子どもに伝わらない、ということはない。すぐにではないかも知れないが必ず伝わる。

たしかに教師が力みかえって授業を進めるのは子どもにとって迷惑なことだが、やる気のある教師の熱意が込められている授業を嫌がる生徒は少ないだろう。

わたしは教師ならば担当している子どもの幸せを考えてあげねばならないと思う。子どもには将来がある。したがって子どもに接する大人は将来にわたる子どもの幸せを考えるべきだ。

昨日は子どもの目がキラキラ輝く、という陳腐な表現がリアルにわたしに迫って来た。何だか嬉しかった。教育というものはこれだ、と思った。これだから塾の講師は辞められないのだ。

学習塾の参入障壁は低い、というのはよく知られている事実だ。しかし撤退障壁が高い、というのはあまり知られていないようだ。これは現場で教えていると大いに理解できる事実だ。

1対1のマンツーマン指導は生徒にとって理解が進むことは確かなようで、詳しくはスペースの関係上、割愛するがそれ以外にも色々と利点は多い。

だが教師の側からすると実は1対1の指導は実入りが少ない非効率的な教え方とも言うことができる。さような事情により当塾の授業料はやや高めに設定してあるのだ。

昨日は生徒の目がキラキラ輝く瞬間に立ち会えて、わたしは幸せな気持ちになったし、その生徒のことをますます好きになった。これからも彼を贔屓していこうと思う。

授業の際その生徒のことだけを考えて教えられるのはマンツーマン指導のいい点のひとつだ、とわたしは思う。目の前の生徒を思う存分、贔屓してもいいのだ。

これからも水モノの授業に熱意を以て挑むつもりだ。子どもたちの目が輝く瞬間に立ち会える幸せなひと時を期待して。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次