文明の利器であるスマホを8カ月、使ってみて言いたい事
わたしは3Gサービス終了を目前にした3月中旬からスマホを使い始めた。主に仕事で使っている。8カ月が経つがスマホはあればあったで便利だが別になくてもいい、というのが結論だ。
8カ月使ってみて確かに便利なことを認めるのにやぶさかではないが、こんなものに踊らされて依存症になったとしたら軽蔑されても文句は言えないと思う。
スマホはあくまでも通信機器であって、それ以上のものではない。親御さんも親御さんだ。小中学生のお子さまにさようなものを渡せば、それは夢中になるだろう。
わたしは高校生でさえスマホは持たせたら駄目だと考える。少し想像すれば分かるようなものだ。何よりもスマホに依存して勉学が疎かになったとしたら高い代償である。
常識で考えると、できるだけスマホとは距離を置くようにすべきだ。その方が人生を安全に渡っていけるような気がする。若い大事な時をあたらスマホ視聴に浪費すべきではない。
先般、外を歩いていると、スマホと睨(にら)めっこしながら前を向かずに歩いてきた歩行者と危うくぶつかりそうになった。いい年をした大人であった。腹が立って仕方がなかった。
妙な時代になったものだ。「歩きスマホ」という言葉は広く知られているが過日わたしは自転車に乗りながらスマホを見ていた女学生を目撃した。
自転車を漕ぎながら周りの風景などを愉しめばいいのだ。朝の清々しい空気を吸って学校までの道程(みちのり)を愉しむ心の余裕が欲しい。なかなか難しいことかも知れないが。
今やオフラインキャンプという、お金を支払ってスマホを絶ち自然と触れ合う、というようなイベントまであるらしい。しかも盛況なのだそうだ。
リアルな生活の中で愉しむ能力を身につけたいものだ。日常のなかにもう少し愉しみを探す努力をしたい。そうすれば日常生活に退屈しなくなるのではないか。
日常を愉しむ。勉強を愉しむ。さような姿勢で読者諸賢のお子さまが生活と向き合うことができれば過度にスマホに頼ることもないのではあるまいか。
わたしが所有しているiPhoneは12だけれど機能は必要にして十分だと思っている。保護者様との連絡に使用しているだけで、わたしはスマホに仕事のツール以上の価値を認めない。