本を読ませたければ~小学生の親御さんへ~

わたしが本格的に本を読み出したのは小林秀雄の著作を父から紹介されて以来です。

思うに、お子さまに本を読ませたければ親御さんご自身が本を読んでいないと難しいのではないでしょうか。子供は親をようく見ていますから。

わたしの父は厖大(ぼうだい)な量の本を読んでいます。もう孫もいるおじいちゃんですが今現在も本を読んでいます。読書に対する姿勢が徹底していますね。

父は新潟大学の歴史を卒業しています。父の時代は令和の現在のようではなく、大学に進学する人は少なかったようです。ゆえに田舎ではちょっとした有名人だった由。

わたしは父のように生きている限り、本を読むような読書に対する姿勢が徹底している人こそ子供の関心を本に向けることができるよき導き手だと考えます。

お子さまに本を読ませたい親御さんの参考になるか分かりませんが父に関するエピソードをふたつ紹介いたしましょう。

其の一。わたしが中学生の頃、三者面談があり、父が学校に来てくれたのですが教室の前の廊下で先生との面談を待っている間、一心に本を読んでいました。

寸暇(すんか)を惜しんで読書をしていたのでした。わたしは、その光景を白いものが頭に混じる今に至るまで忘れることができません。

其の二。わたしが大学生のとき口が滑って父にカントを読んだ、と偽って言ったら「へえ、カントを読んだのか」と驚嘆(きょうたん)していました。

後で代表作である『純粋理性批判』に目を通してみると、あまりにも難解で最初のページを繰ることもできませんでした。父はカントを実際に読んで、その難解さを知っていたのでした。

こういう父の背中を見て育ったので、わたしも本を手に取り、自然と本を読むようになったのです。この逸話を読んでいる親御さん、どうですか。目が醒めませんか。

ところで、わたしは本を読むことを入学試験に受かるために有利になる、という視点だけで語るのは教育者として卑しい態度だと思います。

そういう姿勢では本が嫌いになるだけです。教師のみならず親御さんは、まずは快楽としての読書を経験するように導いていくべきです。本を読むことは楽しい、という経験ですね。

本は物心ついてから死ぬまで生きている限り、様々な人生の知恵や知識を教えてくれる人類に預けられている宝箱です。しかも宝箱には鍵がかかっていないのです。

そう思うことができればしめたものです。お子さまは生きている限り、自発的に本を読みたい、という気持ちにきっとなれる、とわたしは考えております。

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