本物の教養~相手に寄り添う優しさを見習うべし~
わたしは天皇制にはとても懐疑的で批判的な眼差しを向けている。いや、お体裁(ていさい)は止めよう。わたしは天皇制反対論者なのだ。
わたしは天皇を神だと言っていた時代の残滓(ざんし)を今に至るまで後生大事に尊重する必要は全くない、と考えている。天皇も自分の分際について十分、弁えなければならない。
昔、昭和天皇が危篤になると多くの年輩の方々が記帳に行ったが、そのなかに一部だが教会の牧師の姿も認められた。当時のわたしは牧師としての見識を疑うばかりであった。
当時、一部だが年輩の牧師が昭和天皇の病気の治癒を願って記帳した、という事実は人々が時代のドグマの支配から逃れるのがいかに難しいか、をよく示していると思う。
けれども、かく言うわたしとしても現在の皇后がかつて国賓(こくひん)であるアメリカの大統領夫人にとった素晴らしい対応を認めるし、その優しさを高く評価する。
以前、宮中の催しの際、皇后はアメリカの大統領夫人の英語がさほど流暢ではないのを見て取って、すぐに英語からドイツ語に切り替えて話したと言われている。
これこそが本物の教養ではあるまいか。自分の教養の高さを誇るのではなく、ひけらかすのでもなく、むしろ、その教養を以て相手に寄り添ったのだ。なかなかできないことである。
くだんの大統領夫人は英語が達者でないことを中傷された過去があったらしい。それゆえに大統領夫人は一層深い感銘を受けたそうだ。まさに皇后の面目を躍如とするところである。
高い語学力がなければさような機転の利いた対応はできない、という点も見落としては駄目だ。英語もドイツ語も水準以上の力を持っていなければ立場は逆になってしまうだろう。
本物の教養人の対応は一味違うのだ。天皇や皇族をわたしは好きではない。しかしながら、皇后の相手に対して優しく振る舞う姿勢は是非みならいたい、と思う。
浅学菲才のわたしのような者ですら高ぶった思いを持っている、と告白しなければならない。けれども、皇后の逸話を聞いてさような思いは粉々に砕かねば、と思わされた。
最後に、瞬(まばた)きの詩人といわれた水野源三の印象深い詩を紹介して本記事を締めくくる。ちなみに源三は寝たきりの身体障碍者であり、敬虔なキリスト者でもあった。
み神のうちに生かされているのに 自分ひとりで生きていると 思いつづける心を 砕いて砕いて砕きたまえ
み神に深く愛されているのに ともに生きる人を真実に 愛し得ない心を 砕いて砕いて砕きたまえ
み神に罪を赦されているのに 他人の小さなあやまちさえも 赦し得ない心を 砕いて砕いて砕きたまえ
水野源三「砕いて砕いて砕きたまえ」より(改行は引用者)