物質の繁栄と精神の荒廃について─絵画と読書を手がかりに

絵画というのは純粋に物質的な見方からすれば、ただの絵具、布、木枠にすぎない。キャンバスに色々な絵具が塗りたくられているだけだ。しかし、そこに人間の思想が表現されているから価値があるのだ。

数値には置き換えられぬ価値があるのだ。それゆえオークションで何億円という価格で人類の財産ともいえる絵画を売買するなど実に心ないことだと思う。

それではゴッホが苦しみ呻吟しながらキャンバスに向かった営為が報われない。お金では、はかることができない価値があるのだ。彼の人生から切り取った血みどろの肉片が彼の絵画かも知れない。

ゴッホの生涯は壮絶だった。自分の片耳を切り取って相手に送り届けた、という逸話は読者諸賢もご承知のとおりだ。わたしはあなたに言いたい。ゴッホの孤独を思い知れ!

そういう自分の人生の全体重をかけて制作した真の芸術品を考えると価格が価値を決めるのではなく、価値が価格を超えて存在する、と言い得るのではないか。

芸術を金銭化することの暴力性については、もっと批判があってもいい、と思うのは一人わたしだけだろうか。

同じことが読書にもいえる。本は純物質的に見ると紙とインクでできている。白い紙の上に黒いシミがある紙の束だ。しかし、そこに人間の思想が表現されているからこそ尊ばれて読者がつくのだ。

紙とインクの向こうに人間の思想がある、ということだ。言い換えると読書とは他者の人生の断片を受け取る行為であって、精神の継承であるのだ。

以上を考えてみると物質ではなく精神が大事だということは無理のないロジックとして否定できないはずだ。しかし、そうであってなお人間は愚かにも貪欲に物質を追い求める。

少しマシな人は学歴に注意を払うのだが高学歴でも辛い不幸な人生を生きることを余儀なくされている人間は読者諸賢が想像するよりも、はるかに多いのではないか。

現代の文明は物質的な繁栄をもたらしてくれた。そこは、わたしも認めるのにやぶさかではない。なぜなら、わたしも文明の与える恵沢を享受しているからだ。

けれども精神的に現代を過去と比べてみると、どうだろうか。今の時代を生きる人々に『論語』以上の智恵があるだろうか。

以上のことに思いが及ばなければ現代における精神の荒廃は止むことはなく、われわれの精神の豊かさは静かに、しかし確実に失われていくのではないだろうか。

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