現代最大の迷信

画像は三重県のパールロードです。昨夏の南紀白浜ツーリングの際、走った道です。

わたしが思うに科学は現代人にとって神聖なドグマになっています。「科学教」とでも名づけたい宗教のようになっています。現に「××の科学」というような名前の宗教団体もあります。

時代を風靡(ふうび)している流行(はや)りの思想の誤りに、その時代のさなかを生きている人たちは、どうしても気づけないものなのかも知れません。

わたしが思うに、科学万能という現代最大の迷信に現代人が気づき「科学教」を信じることを止めない限り現代日本の精神的な荒廃を止めることはできません。

科学が死の問題を解決できないということが、その辺の事情を雄弁に物語っていると思います。

今や死について真剣に考えているのは宗教家と葬儀屋くらいのものではありますまいか。他の人たちは生きることにばかり目が行っています。

いずれは死ぬのに死について考えるのを忌み嫌い、避けているようにさえ見受けられます。いわゆる思考停止状態ですね。

けれども、生と死は地続きであります。さようなことは子供の読みものであるマンガにすら書いてあります。

人生行路の行く先には死という底知れぬ陥穽(かんせい)が口を開けて待っていることくらい年端(としは)もゆかない子供ですら理解しています。

なるほど、わたしたちの未来について、どういう事件が出来(しゅったい)するかを、いちいち正確に予測することは、ほとんど不可能です。

しかしながら、いずれ地上から去らなければならない時が来ることは子供であれ、大人であれ、誰であれ、分かっているのです。

自分だけは特別で例外である、と考えている人は、まさかいないでしょう。人間である以上、どんな人でも必ず死を迎えます。死を避けることはできません。

そういうしだいで、わたしは生について多く考えている「科学」も否定はしませんが死について多く考えている「宗教」も決して蔑(ないがし)ろにはできない、と考えております。

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