能登の人々を想う
元旦に能登半島で大地震が起きましたね。すぐ下の弟家族が金沢市に住んでいるので、とても他人事とは思えません。わたしも九歳まで北陸地方の新潟県は亀田町に住んでいました。
「亀田のあられ、おせんべい」で有名な亀田製菓がある町です。新潟をはじめ北陸地方の冬は厳しいです。もちろん石川県も例外ではありません。わたしは雪国の冬の厳しさを理解できます。
雪国で実際に暮らしてみないと、その厳しさは正しく想像することができない、と思います。例えば雪国では小さな子供でも除雪をしなくてはなりません。
幼いときに雪かきをしましたが毎日のことだったので辛かったです。雪かきは力が要ります。けれども雪かきを怠けると冬の北陸地方では生活に差し支えることになります。
事程左様に除雪だけでなく様々なことを行わなければなりません。雪国の冬は大変なのです。わたしは、よく霜焼けにもなりました。それでも少年の日を振り返ると初雪の日の嬉しさは格別だったから皮肉なものです。
ところで、年末は弟を含めた家族と実家のある愛知県の豊橋市で過ごして、わたしは元旦の午後には名古屋にいました。部屋で過ごしていると強い揺れを感じました。
すぐ下の弟家族は車で石川県に帰る途中でした。ネットの情報で石川県が震源地と判ったので、すぐに弟夫婦にメールを送りました。無事が判り、ほっとしました。
名古屋で強い揺れを感じたので震源地の石川県では相当の揺れがあったはずです。この時季に大地震が起こり、雪が降るとなると災害現場は熾烈(しれつ)を極める、と考えます。
現在、自衛隊が現場に入り、救助はもちろんのこと、被災された方々の援助をされています。寒さが厳しい石川県で被災された方々の映像を見ると胸が熱くなります。
そして、自分自身にこう問いかけるのです。「被災された方々にお前ができることはないのか」と。これが考える、ということです。これが想像する、ということです。
思うに本記事を読んでいる若い皆さんは将来、困っている人々を助けることができる強く優しい人物に育ってほしいです。
そういう人物になるために将来ある子供たちの勉強を見る、という塾での仕事が間接的ではありますが今わたしにできることではないか、と考えます。