良書のご紹介『ベロ出しチョンマ』(後編)

『ベロ出しチョンマ』のような優れた作品を読む時われわれは心を揺さぶられる。涙を禁じえない。さような物語からわれわれ現代人は何を学べるだろうか。

酒で憂さを晴らし、煙草を精神安定剤がわりに喫う現代人。ギャンブルに熱狂し、宝くじを買って当選番号と自分の番号を必死に照合する令和の世のサラリーマン。

さような大人を手本とする子供は薄暗い個室にこもり、煌々(こうこう)と光る画面の敵と夜更けまで格闘する。

何の危険もない絶対にセーフティーな安穏(あんのん)とした、だらしのない闘い、否、道楽である。こんな家族に何の覚悟があるというのか。

テレビを観ながら食卓を囲む会話のない核家族。かつての農村に存在した誇りある家族の残滓(ざんし)を現代に見よう、と努めるのは無駄な努力だ。

それにしても現代の家族の何という殺伐とした光景であろうか。わたしは一部の識者の言うように、もののふたれ、とは言わぬ。侍(さむらい)たれ、とは言わぬ。

むしろ、わたしは信念を持った市井(しせい)の人間たれ、と絶叫したい。この短い生涯を生きていく際に確たる信仰や信念を持とうではないか。

あなたは確実に死ぬ。現在、生きている人間の致死率は百パーセントである。誰であれ必ず死ぬ。それにもかかわらず、われわれは死に直面しない限り死の問題を真剣に考えない。

ブログなどでは「死」や「殺」という言葉を使うとマイナスの評価をされるようである。重要な問題にいつまで目を瞑るつもりか、とわたしは述べたい。わたしは禁忌とされている言葉でも構わず使う。

なぜならタブー視されている言葉こそが、われわれが将来必ず直面するすこぶる重要な問題を表現しているからだ。此岸の事ばかり考えるのではなく彼岸の事も考えようではないか。

あなたも死を前に「厳粛な綱渡り」をしているのだ。磔になって死んでいった百姓の家族たちと違うのは死刑執行の期日を知らないだけだ。

あなたが刑場に引き立てられた時、果たして世人の言う常識というものは、あなたを助けるだろうか。死の苦痛を和らげてくれるだろうか。

(了)

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