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いわゆる一流大学や有名大学出身者が企業をはじめ社会から厚遇(こうぐう)されるのは意味のないことではない、とわたしは考える。
そうでなければ厳しい受験勉強に耐える甲斐がないし高い学費を支払って若い貴重な四年間を象牙の塔に通う道理もないではないか。
思うに女優の広末涼子のように推薦入試で易々と大学に入る者は格別、苦労して実力で入試を突破した者には程度の差はあれ相応の覚悟があるし根性もある。
もしかしたら激しい嵐の時代に覚悟や根性が音もなく降り積もる雪のように心のなかで自ずと涵養(かんよう)されるのではあるまいか。
どこの国のどの世界にも子供から大人になるための、いわゆるイニシエーション(通過儀礼)がある。昔の日本でいえば元服がそれにあたる。
外国にはバンジー・ジャンプさながらに片方の足首に縄を結び高所から飛び降りる、などという非常に危険で野蛮な通過儀礼さえまだ残っている地域がある。
それでは今の日本にさような通過儀礼はあるのだろうか。わたしが思うに、それこそが大学入試である。大学入試こそは現代日本における大人になるための通過儀礼なのだ。
もしかしたら読者各位の中には街の公会堂で催される成人式を大人になるための通過儀礼だと思われる方もおられるかも知れない。
けれども公会堂で催される成人式は今まで述べてきた通過儀礼の形骸化したものでセレモニーとしての意味はあるが決して実質的な意味での通過儀礼ではない。
話を戻そう。わたしは人より余分に勉強をして東京にある早稲田大学に入学を果たした。両親に合格を報らせると大変、喜んでくれた。
当時、父の眼に涙が溢れていたことを認めた。わたしは父が泣くところを生まれて初めて見た。そこまで両親に心配をかけていたのだ。
両親も周囲からのプレッシャーを相当、強く受けていたに違いなかった。わたしと同様に両親もまた別の意味での通過儀礼を受けることを余儀なくされたのであろうか。
ともかくも以上が、わたしの受験生時代であり青春の一コマであった。これまで書いてきたことが受験に関心のある読者諸賢の参考になれば望外の喜びである。(了)
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