養老孟司の本を読む

『バカなおとなにならない脳』は養老孟司の本の入門書と言えるかも知れません。

養老孟司が著した『バカなおとなにならない脳』(理論社刊)は人間の脳についての子供達からの質問に著者が回答する形で構成されています。

脳については近年、かまびすしく議論されています。あえてカテゴライズすると脳はいわゆる「科学」の範疇に属するはずです。

けれども、同書を読みますと脳についての考え方は「哲学」そのものであることを知るに至るのです。

同書の著者である養老孟司は脳について分かりやすく説明していますが、その表現を十分、咀嚼(そしゃく)するには哲学的素養を持たなければ難しいかも知れません。

かつて評論家の小林秀雄は「科学」を対象として論じる際に「哲学」が要るか要らぬか、も「哲学」の問題であると述べ、わたしはその主張の斬新さに、いたく感心した覚えがあります。

いわゆる科学的な物の見方というのは乱暴な括り方が許されるならば、つまるところ「哲学」のそれと似ています。

換言すれば「哲学」と「科学」は極めて密接な関係にあると言えます。「哲学」抜きに「科学」は語れないし、「科学」抜きに「哲学」を語ることもできません。

少なくとも同書を読む限りそういう感想を持たなければ誤読をしている、ということになるのではありますまいか。

養老は人間のいる世界だけが全てではないと主張します。花鳥風月に関心を払わなくては駄目だという主旨の発言まであるのです。

読者諸賢は日本の解剖学の権威である養老は不思議なことを記している、と思われるでしょうか。

しかし、よく考えてみると、むべなるかな、とも思えます。というのも人間の意識が充満した世界で過ごしていると息苦しく精神に不調を来す、という著者の意見は十分に納得できるからです。

われわれが暮らすこの世界は人間以外の自然も含めての世界であり人間ばかりに思いを致すとその閉塞感に圧迫され辛くなる、という意見にはなるほど、と頷(うなず)けます。

どこへ行っても人間、人間、人間、だと確かに息苦しいです。わたしが少年だった昭和の昔は川とか田んぼとか空き地とか緩衝地帯が、まだありました。

しかし、どこもかしこも都市化された今は、いわゆる「人間ばかり」からの逃げ場を消していると著者は警鐘を鳴らします。

そして養老は都市化され人間の意識が充満しているので会社や学校でいじめが必然的に出来(しゅったい)する、と主張します。

読者諸賢にもぜひ同書を読んでいただきたいです。読書を促すために、あえてこれ以上、詳(つまび)らかにしないまま擱筆(かくひつ)することにします。

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