餌か食事か?
現代はインスタント食品全盛の時代です。わたし自身もしばしば、お世話になっています。なるほどインスタント食品は簡単に食べることができますし値段も安いです。忙しい現代人に受け入れられるのも道理です。
けれども、すべからく簡単で便利という謳(うた)い文句は疑う必要があります。その分、大事な何かが犠牲になっている惧(おそ)れがあるからです。
然り。大事な何かが犠牲になっていることが、ままあります。インスタントにできる食事、安く済ませられる食事、を毎日食べ続けたらどうなるか。その末路は栄養失調です。
大学時代の教会の友人の同級生が当時、夭折(ようせつ)した原因が栄養失調でした。彼は映画を多く観るために食費を抑えてインスタント食品ばかり食べていたらしいのです。
これは当時、大学生のわたしにとってショックな出来事でした。この飽食の時代に栄養失調で命を落とした人がいたことに衝撃を受けました。
ご承知のとおりインスタント食品には栄養が著しく不足しています。したがって手軽にできるインスタント食品はおやつ感覚で食べなければならないのではありますまいか。
おやつ感覚で食べるにせよ、例えば即席ラーメンに一手間加えて炒めた野菜をのせるなどの工夫を是非するべきです。
さらに述べますと、われわれは日常の食事にもう少しお金を遣う必要があるのではないでしょうか。たしかにインスタント食品は便利で価格も安いです。
わたしも生活防衛のための節約や倹約を認めるのはやぶさかではありません。したがって原則として財布の紐(ひも)をきつくすることを否定するつもりはありません。
しかしながら節約や倹約についても自ずから限度があるのであって食費を切り詰めて病気になるのであれば何のための節約や倹約であったのか、ということになります。
節約や倹約も行き過ぎると吝嗇(りんしょく)に堕してしまうことにならないとも限りません。思うに、われわれはお金の上手な遣い方を日々の生活をとおして賢く学ばなければなりません。
われわれは日毎の糧(かて)にもう少し注意と関心を払い、食べられることにもっと感謝し、喜ばなければならないのではありますまいか。
食事がただ、われわれの腹を満たすだけのものなら、それは餌(えさ)です。もはや食事とは呼べません。
料理をすることを愉しみ、ひもじい思いに苦しめられることもなく食べ物を口にできる恵まれた境遇に感謝しなければいけないのではありますまいか。
さように食事と作ってくれた人に感謝しつつ家族や友人と食卓を囲みながら談笑する、それが本来の食事のあり方だとわたしは考えます。