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「主」とは何者か。結論を記すと神のことだ。過日、土曜過去問特訓講座で名古屋中学校の国語の過去問に「主」と記載されていた。「主」と当たり前のように記されていて注釈での説明はなかった。
問題を解き終えた生徒に「主」の意味は分かったか、と尋ねてみると分からなかった、との答えが返ってきた。わたしはさもありなん、と思った。
日本人はキリスト教を色眼鏡でみて聖書を読まないから分からないのも無理はない。旧約聖書と新約聖書を併せて聖書というが以下は旧約聖書の「ヨブ記」より引用している名古屋中学校の過去問の孫引きだ。
「私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ記1章21節)
以上の引用文に「主」という言葉が認められる。名古屋中学校の随分昔の入試問題の本文に「主」が記されていたのだ。ではどのような出題のされ方をしたのか。設問は下記のとおりだ。
「主は与え、主は奪う」とありますが、このことばからヨブは何が言いたいと考えられますか。それを表現した部分を本文中から三十六字以内でぬき出し、最初と最後のそれぞれ五文字で書きなさい。」
「主」という言葉の意味を知っていたら戸惑うことなく正解できる抜き出し問題である。なぜ名古屋中学校は旧約聖書の「ヨブ記」からわざわざ問題を作ったのか。
それは名古屋中学校がプロテスタントの学校だからだ。日本のキリスト教は非常に大雑把に記すとプロテスタントとカトリックのふたつの宗派に分かれる。
具体例で説明すると名古屋中学、高校はプロテスタントであり南山学園はカトリックである。前者の宗派を新教、後者の宗派を旧教と言ったりもする。同じキリスト教の学校でも建学の精神が異なるのだ。
名古屋中学校は新教を建学の精神としているので聖書から入試問題を出したのだ。ただ、「主」という言葉を知らなくても受験生は前後の文脈から神という意味だろうな、と推測できたのではあるまいか。
読者諸賢よ、本記事を読んだことをきっかけにして聖書を読んでみてはいかがか。聖書こそ大歴史書であり大文学書である。けれども、こう述べても十人が十人、必ず聖書を読まないであろう。
最後に念のために記すが名古屋中学、高校も南山学園も生徒諸君に信仰を強要することはない。ご承知のとおり日本国憲法第20条で「信教の自由」が保障されているからだ。
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