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いつの頃からか、わたしの髪にも白いものが混じるようになりました。若い頃には必要がなかった白髪染めなぞ煩わしい限りです。
しかし、フォーマルな会合に臨むときに胡麻塩頭というのもみっともないかな、という心配から自由ではない、というしだいで白いものが混じった頭を梳る時、鏡を見て苦笑するのを禁じ得ない時があります。
そういうことを思うにつけ「光陰矢の如し」という古くからある言葉は真実であるなあ、という感慨を覚えるようになりました。よく出来た言葉だと思います。人生は思いのほか短い。
日々暮らしているなかで段々そういうふうに考えるようになりました。さようなことを考えるようになった、ということは取りも直さず、わたしが年を取ったということと少しも違いません。
最近、巷間には、いわゆるアンチエイジングという思想的潮流がありますね。年齢を重ねても活き活きと暮らしたい、ということなのでしょう。
いわゆる加齢に負けることなく、いつまでも若々しく生き続けたいという強い願いを抱いて、フィットネスジムなどに通うことが今やひとつのトレンドにまでなっています。
しごく結構なことではないか、というのが現代っ子の意見なのではありますまいか。そういうしだいで今回は思想と年齢の関係をテーマにして記事を書いてゆきたいと思います。
「いつまでも若々しいですね」という言葉は今や年輩者の歓心を買う最も有効なお世辞のひとつになっています。年輩の綺麗な女性を指して「美魔女」などという新しい言葉も生まれています。
けれども、翻って考えると、こんなに馬鹿馬鹿しいことはない。それでは齢(とし)をとった甲斐がないではありませんか。
年齢にふさわしい信仰、思想、哲学等が、そのひとの内に涵養(かんよう)されていなければ何のために齢を重ねたのか、ということになるのではありますまいか。
アンチエイジングという現代の思想的潮流の背後には合理主義の思想があると思います。二に二を足せば子供にとっても四ですし、大人にとっても四です。答えに変わりはありません。
大人や子供を問わず誰にも納得のゆく答えが出ます。そう、合理主義思想に年齢は関係ないのであります。もっと申しますと合理主義思想は年齢というものを軽蔑するのです。
(つづく)

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