思想と年齢(5)

あなたは死について考える時間を持っていますか。シリーズ第5回の記事。

日本史に名を遺し、太閤とさえ言われた秀吉でさえしてやられているのです。吾人は秀吉のように現世に対して未練がましい態度で臨終を迎えないようにせねばなりません。

吾人は死についてしっかりと考え抜くことが肝要であります。読者諸賢もこの記事をきっかけに自分の死についてゆっくりと考える時間をつくってください。

忙しい日常のなかで自分と向き合うひとときを捻出することは、とても大事なことだと、わたしは考えます。そう、捻出するのであります。

価値のある時間をつくるために工夫をするべきであるのは殊更に述べる必要のないことです。皆、実行している何でもないことです。

死について考えることは非常に価値のあることなのに全くおざなりにされているので考える時間をつくる工夫をするべきである、とわたしは提案しているのであります。

将来かならず経験するであろう死に備えて吾人はどんな準備をすればいいのでしょうか。すでに述べたように死の問題を避けるのではなく死について真面目に考えることから始めるべきです。

死について考えるコツは死の彼方(かなた)を見晴るかすことにあります。言い換えますと死後について思いを致す、ということです。

それでは、死後について思いを致すためにはどうしたらよいのでしょうか。友人と議論したり、ただ空漠と自分で考えても高が知れています。

我が田に水を引く物言いになるかも知れませんが、お住まいの近くのキリスト教会に行くこともいいのではないでしょうか。

ふつう教会の礼拝では牧師が聖書を分かりやすく説き明かす時間を設けています。ただ、こう提案しつつも実際に行く人はいないだろうなあ、という浮かぬ気持ちを払拭することができません。

こう書いて来ても疑う自分を認めざるを得ません。というのも現代人は、いわゆる宗教に根強い偏見を持っているからです。(つづく)


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