思想と年齢(7)

聖書は時空を超え神の知恵を示す普遍の大古典です。シリーズ最終回の記事。

繰り返しになりますが読者諸賢には、ぜひ不滅の大古典である『聖書』を読んでいただきたい。『聖書』を読むという選択には間違いがない。―――これは、わたしの信仰ですが。

とにもかくにも時代の風雪に耐えて世界中の人々に読み継がれて来た大古典たるバイブルを読むことをお勧めしたいのです。

わたしがここでいう『聖書』とは『旧約聖書』と『新約聖書』のふたつを指します。さらに申しますと、いわゆる「新改訳」の『聖書』をお読みになることをお勧めします。

なぜならば、「新改訳」は原典にすこぶる忠実な訳である、とされているからです。他には「新共同訳」も悪くはありません。

読書の時間とは時空を超えた人間の知恵を獲得できる貴重なひとときなのです。なぜ江戸時代に起こった事件を現代に生きる我々が知ることができるのですか。

当時の事件の模様を書き残した人がいるからです。さように古典を読みますと昔の人の体験が文字となって記されています。

これは、すなわち時間を超えていると言えますね。空間も超えていますよ。わたしたちは外国の物語を日本に居ながらにして読むことができます。

読書の時間とは時空を超えた人間の知恵を獲得できる貴重なひとときなのである、というのは一般論として決して間違ってはいません。

けれども、『聖書』に限って申しますと人間の知恵を越えた神の知恵を知ることができる、という点で他の本とは一線を画します。そこが『聖書』が他の書物とは決定的に違うゆえんです。

それゆえ『聖書』は長いこと読書に親しんできた筋金入りの読書人にも応じますし、読書をはじめて日が浅い初心者にも応じてくれます。

『聖書』は、それほどに懐が深いのです。そして、底知れず奥が深いのであります。繰り返しますが聖書は青年の君にも壮年の君にも年輩の君にも応じてくれるのです。

思想と年齢の関係については、まだまだ述べたいことがありますが長くなりますので別に機会があれば改めて記述することにします。いつ書けるものかも分かりませんが乞うご期待。

最後になりますが借り物の思想ではなく自分なりの死生観を早いうちから確立しておくことの重要さを自戒の念を込めて記したうえで擱筆(かくひつ)します。(了)

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