読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
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文章のテーマが決まっていればそのテーマについて書いていけばいいが、このブログも四百記事を超えている今、なかなか筆が進まないというのが事実だ。わたしは何か積極的に自分を語りたいとは思わない。できれば黙っていたい。何も書かないままでいたい。
それではなぜ書くのか。その理由は一重に塾生を集めるためだ。生計を立てるためだ。わたしが思うに今は何も発信せずに塾を経営できるほど甘い時代ではない。それゆえ愚か者の駄文に堕していないか常に注意しつつ書いているつもりだ。
塾というのは書くというよりは喋る商売なのかも知れない。授業はやはり口頭で伝えるしか術はない。したがって口が立つ人が向いているだろうと思う。けれども国語塾はどうか。国語塾は一般の塾以上に書く技術が要求されるのではあるまいか。
国語は文章で人間の思想を伝える教科だ。そして中学受験の国語は人間の思想を正しく理解することから始まる。もしかしたら書く技術は国語という科目では高度な能力になるのかも知れない。それゆえ順番としては文章を正確に理解することが優先されると考える。
けれども、そこで終わりではない。いつまでも人の文章を読むだけでいい訳はない。自分の考えを、自分の思想を、文章で書けるところまで到達する必要がある。難関中学校で自由作文や長文記述の問題があるゆえんである。
少なくともわたしの国語塾では書く技術まで児童の能力を高めたい。それは必ずしも受験に役立つという実利的なメリットに限られない。文章表現能力は自分を救うのである。書くことは苦しいが同時に自分を救うというのがわたしの経験だ。
書くことではじめて自分の考えていることが判る、ということを詩人の谷川俊太郎氏が述べていた。頭のなかで自問自答することも軽視できないが文章を書いてはじめて自分の考えていることが判る、という谷川氏の指摘は重要だと思う。
それならば夏休みの課題である読書感想文などいい練習になるのではないか、と思われた人がおられるかも知れないが、わたしはかつて反対の立場だった。けれども今は条件付きで賛成である。それは自分が最も感動した本の感想文に限る、というものだ。
わたしは読書感想文は読書の何たるかが分かっていない小学生には荷が重いから中高生に限定した方がいい、と考えたときがあった。だが今や中学受験を考えると、そんなのんびりとしたことは言っていられない。というのも書く能力を時代が要請しているからだ。
結論を先に記せば小学生にもそれなりに書く能力が求められているので書く能力を早期に伸ばす必要があるのだ。したがって読書感想文も条件付きで書くことは必要かも知れないと考えるようになった。しかし、急いで申し添えると強制はいけない。あくまでも任意である。書きたくなるようなテーマに限る。自分が最も感動した本の感想なら書きたくなるのではないか。
読書感想文は、いわゆる書評と同じだ。小学生にはまだ早い。読書感想文は書評を書いたことがない大人の妄言ではないか、というと失礼なことを記すな、と怒られるかも知れないが兎も角、書評は難しい。苦手なことを強制すれば子どもは本と大いに距離を置くことにならないとも限らない。
小学生には先ず読書の快楽を教えねばならない。本を読むのは愉しい、という経験こそ大事だ。それも自分の意志で読む経験が大事だ。したがって読書を促すことには賛成するが読書感想文についての効果については疑義があると思うし警戒している。
子どもたちを取り巻く環境は変化している。時代の要請もある。少子高齢化社会で学校現場も優秀な人材が欲しい。そういう情勢のなか国語の能力の早期養成が求められている。
のんびり構えていると時勢に遅れる。けれども、そうであってなお真の国語力の養成には時間がかかる、という点は述べておきたい。いつも述べていることだが保護者の方は一回、子どもの志望校の国語の過去問を解いてみて欲しい。難関資格の司法書士の保護者でも半分も得点できなかったのだ。
この文章をAIに論評させたら「いい雑感である」という評価だった。結局わたしの書く文章は雑感になってしまう。話題が散漫で論理の飛躍が多い文章に堕してしまう。書くというのはわたしにとって常に難しい。立派な文章は書けないよ。
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