読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
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遂に蝉が鳴き出した。夏も本番だ、と記せばまだ早いという反論があるかも知れない。だが受験勉強は前倒しで丁度いいくらいなのだ。夏休みを控えた大事なこの時季、我が塾にもそれなりに問い合わせが来る。
昨晩も問い合わせのメールが来たが我が塾ではすでに受験生の新規受け入れを締め切っているのだ。朝、机の上のパソコンで慇懃に断りのメールを送信した。なお、小学五年生以下の生徒はこれまでどおり受け入れているので誤解のないように願いたい。
今は七月の中旬だ。エアコンをオフにすると自然と汗ばんでくる時季になった。かつてのように激しく体を動かさずとも収入を得ることができている。こうして空調の効いた部屋で文章を書いていられる。塾を開業してから三回目の夏にしてようやく塾が軌道に乗り始めている。
一昨日、教室で授業準備をしていた。東京の某私立中学校の過去問をコピーしてホチキスで綴じた。ホチキスの針をカヴァーするように白色の製本テープを貼り付ける。授業で使う教材だ。我が塾には東京の学校を目指している生徒もいるのだ。
昨晩、冊子状になった某私立中学校の国語の過去問を解いてみたが難しい。東京と名古屋でこうも違うものかと思った。漫然と解いていたら間違いなく時間が足りなくなる種類の問題だ。
これは単なる過去問の難易度の話ではない。文化の違い、教育思想の違い、そして東京という都市が求める読解力の違いが過去問に凝縮されているということなのだ。
実際、記述問題でありながら字数の制約がないという点は名古屋の過去問とは明らかに異なる点だ。字数を制限することなく、子どもの思考の伸びをそのまま見たいという設計思想が透けて見えるようだ。
東京型の中学受験の国語の特徴は一口には言えないだろうがAIによれば、文章の密度が高く、問いの要求水準も高いそうだ。東京型は名古屋の入試国語とはそもそも設計思想が違うらしい。
某中学校の過去問集には国語の出題傾向について以下のように記してあった。
《本校の国語は、深い読解力を必要とする題材が多く、記述で答える問いが大半をしめているため、読解力だけでなく、読み取ったことを的確に表現する力も問われているといえます。》
この一文は、学校の教育理念そのものだ。読めるだけでは足りない。読んだことを言語化できる子を求めている。つまり、思考と言語の往復運動を日常的に行える子どもを選抜したいという学校側の意思表示ではないか。
この中学校は良家の子弟が集う有名な学園で、系列の大学は知る人ぞ知る有名大学だ。立地もすこぶるいい。都心にすぐにアクセスできる。何ならわたしが入学したいくらいの中学校だ。この中学校に入学できたらさぞかし嬉しいことだろう。
残された時間で全力を尽くすしかない。近々、学校の説明会があるそうだ。説明会に出てモチベーションを上げて全力で努力してほしい。この生徒について書けるのはここまでだ。本来、塾生のことを仔細に記すのは慎むべきだ。
わたしは名古屋の夏の空気の中で東京の問題を解きながら、教育の本質をもう一度見つめ直している。某中学校の過去問を実際に解いてみて東京と名古屋の違いを単なる地域差としてではなく、教育文化の差として捉えているところである。
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