陸沈
支那の古い言葉に「陸沈」という言葉があります。訓読すると「陸に沈む」となります。「陸が沈む」ではありませんよ。
この言葉は海や川に沈むことは簡単だが陸に沈むのは難しいぞ、ということを意味しています。
陸に沈む、というのは、この世の人々、社会と徹底的に付き合う、ということです。引きこもって世間から逃げる、というのではない。ましてや世をはかなんで、この世と訣別することでもない。
要するに逃げずに馬鹿な世の中と十分親しく付き合うのです。そして町に沈むのです。社会の中に沈むのです。陸に沈むのです。これが「陸沈」という言葉の意味です。
どうですか。陸に沈むことは決して簡単なことではないですよね。「陸沈」という言葉の真に意味するところは経験を積まなければ分からないかも知れません。
昨今、不登校が問題になっています。あの旭川の女子中学生が被ったような想像を絶するイジメがある場合は登校をしないという選択をしても全く構わない、とわたしは考えます。
しかしながら、お子さまが、ちょっとしたことで逃げたくなるような姿勢を見せたら是非「陸沈」という言葉をプレゼントしてあげてほしいです。
「陸沈」という古い支那の言葉がなぜ今に至るまで存在していて今日の我々の胸を打つのでしょうか。
それは俗世間と徹底的に付き合う、ということは、いつの時代の誰にとっても困難なことだからです。
陸に沈むことが、どれだけ難しいことか。なにも生きづらいのは子供だけの問題ではありません。大人だって生きづらさを抱えているのです。打ち明けた話、わたしだってそうです。
人生いかに生きるべきか、という大問題は太古の昔から連綿としてある問題で古今東西の賢人たちが、あんなにも考えあぐんだ問題です。
生きることは決して簡単なことでも単純なことでもありません。喩えるなら我々は、この世で厳粛(げんしゅく)な綱渡りをしているようなものです。
この文章を読んでいるお父さまやお母さまは少なからず社会に揉まれているはずなので、わたしが述べていることが理解できるのではないでしょうか。
わたしは今日も自分の仕事を精一杯がんばろうと思います。陸に沈むべく逃げずに生きている限り働いて天寿をまっとうしたい、と思っています。