勉強できる幸せ
勉強は平和でなければできません。いわゆる受験戦争という言葉がありますが、あくまでも比喩に過ぎません。実際に殺し合いが起きているわけではありません。
報道されているウクライナ情勢などを見るにつけ聞くにつけ戦時下の国では生活することさえままならないことが判ります。幸いなことに現在の日本では戦争という言葉はレトリックの中に存在するだけです。
感謝なことに今の日本では誰であっても努力すれば上等な学校に進学することができます。実にありがたいことだ、と思います。
勉強は遊びではありませんから愉しい楽しい、という甘い世界では、もちろんありません。しかしながら、やればやっただけ自分に返ってきます。がんばっただけ報われます。
勉強は、ゲームよりも複雑かつ緻密で、よほど愉しい営みです。わたしが学生の頃を振り返ると勉強に夢中になって取り組んでいました。
わたしが学生時代に「名古屋UP国語塾」が地元にあってくれたら、水上という先生がいてくれたら、と思わぬでもない。まあ、これは半分冗談です。
しかしながら、生徒からそう思ってもらえる塾でありたいです。そう思ってもらえるように毎日、精一杯、努力しています。これは真面目にそう考えています。
閑話休題。そもそも勉強できる、というのは贅沢なことなのです。かつては大学がレジャーランドなどと揶揄(やゆ)されていましたが大学へ進学して高等教育を受ける、ということは本来、贅沢なことなのです。
そう考えると勉強する、というのは贅沢で幸せなことなのだ、と論を進めることに無理はないでしょう。
勉強はやる気のある者だけが取り組む高度で贅沢な営みのはずです。ですから昨今の、生徒のやる気を上げることまで塾まかせ、という風潮はおかしい、とわたしは考えています。
当塾はやる気のある生徒に勉強できる幸せをとくと味わってもらう塾でありたい、と考えております。