20年間、働かない男性
わたしが、ほぼ毎日、チェックしているブログがあります。そのブログには、はたして素晴らしい記事が書いてあるのでしょうか。ためになる記事が記されているのでしょうか。
残念ながらその反対です。ブログの書き手は怠けているのを自分でも認めながら経済的に貧しいことの不満を滔々(とうとう)と述べています。貧しいなら、お金を稼ぐべく働けばいいではないですか。
くだんのブログの書き手はハンドルネームを持っていますが仮にHさん、とします。彼は静岡県屈指の進学高校を卒業して浪人を経て某大学に入りました。
紆余曲折があり彼は大学を中退しました。そこまではいいとしましょう。ダメなのは中退してから20年間一切、仕事をしていないことです。定まった職に就いて働く気もないようです。
Hさんはお気の毒なことに統合失調症に罹患(りかん)していて雀の涙ほどの障碍年金をもらっています。さような心の病気にかかっているので無理もないと理解を示していいものかどうか。
彼は五体満足ですし、ブログを執筆するほどの知性もあります。精神を除けば健康なのです。彼の書いた記事によれば一日中、自分の好きなことに現(うつつ)を抜かして過ごしているようです。
精神の障碍(しょうがい)があるのであれば生活費の足しにするべく週に二、三日でも構わないから作業所に行ったらいいではないですか。彼は働かずにブログの執筆や読書に逃げています。
わたしはHさんの生き方や考え方をどうしても受け入れることができません。彼はブログの記事で働きたくない、とはっきり記しています。
彼は現在、40歳ですが、これまでの20年間、まったく働いていません。人生で一番、いい期間を棒に振っています。けれども働かないで暮らせる境遇を自慢しているありさまです。
Hさんは自分の失敗した半生を認めたくないからかブログの記事で奇妙奇天烈な論理を振りかざしています。詭弁を弄(ろう)しています。自己を正当化したいのでありましょう。
わたしたち障害者にあるのは何よりも自由な時間で、働くことを免除されているがゆえのギフトではないかなぁって思う。と言いつつも、スーパーで他の人たちがお菓子とか清涼飲料水とか高い牛肉とか、そういった嗜好品のようなものを買っているのを見ると正直わたしはイラっとすることがある。でも、彼らはそれを買うために自由を失っているのだと考えるようにしている。そう、必要ではないものを買うことは自由を失うことなのだ。
出典:Hさんのブログの記事
わたしは一生懸命な人でなければ応援できません。人生を真摯(しんし)に生きている人でなければ応援できません。読者諸賢はHさんを他山の石とするべきだと思います。