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読者諸賢よ、死ぬ準備はできていますか。われわれの内の誰か今日、交通事故に遭(あ)わないとも限りません。誰も否(ノー)とは言えないでしょう。
死を考えることを誰もが忌避(きひ)しますが死は、われわれの支度(したく)を待っていてはくれません。
死は、だしぬけに襲いかかってきます。余命宣告でもされていない限り、いつ死ぬか誰もまったく知らないのです。
生と死は地続きです。これは福本伸行氏の有名なマンガである『カイジ』に描かれていた登場人物のモノローグです。子供が読むマンガにさえそう書いてあるのです。
人生という旅の最終目的地は何処(どこ)ですか。読者諸賢は、この質問の答えをご自分で、よく考えられるといいと思います。
考える価値がある人生の大きな疑問だとわたしは思います。人間の歴史が始まって以来、誰もが疑問に思ったことでしょう。有史以来の大きな疑問です。
いにしえの賢人、たとえばソクラテスや孔子もあんなに考えあぐねている人生の根本問題であります。ソクラテスは従容(しょうよう)として毒杯を仰ぎましたが。
そういう人たちについて書き残されたものがあります。それが古典です。大昔に起こったことは現代も変わらずに起こっています。
日の下に新しいことは何ひとつない、という言い方もできるのです。さようなことに気づけるためにもわれわれは古典を読むべきです。
繰り返し述べます。古典を読みましょう。そして、どうせ古典を読むなら不滅の大古典であるバイブルを読みましょう。読んで得るところ大ですよ。
以上の記事の内容を宗教的だから考えることをしない、というあなた。バイブルを読んで死について考えることをしない、というあなた。
それでは死に直面したとき、あなたを助けてくれるものは何ですか。金か、知識か、家族か、仕事か、イデオロギーか、友人か、道徳か。もう、あなたは答えられないではないですか。
人間は生きている間、色々なものを追い求め、それにしがみつき、またそれを手放そうとしません。死ぬときは何も持っていけないのに。
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